こんにちは。ぶ~ちゃんです。
日光街道歩き旅7日目です。
6日目は「雀宮宿」に入りましたが、陽も暮れてしまい宿場町の散策ができませんでした。
7日目となる今回は「雀宮宿」散策後、道中を経て「宇都宮宿」まで約8kmを歩きます。
7日目の旅は、次の旅の調整もあるため、歩く距離は短めです。
黙々と国道沿いを歩き進めた今回の旅。目立った史跡は多くありませんでしたが、雀宮宿では将軍や大名が参拝した「雀宮神社」に歴史を感じ、宇都宮宿では日光街道と奥州街道が交わる宿場町としての賑わいを想像しながら進むことができました。現代の喧騒の中にも、歴史の面影が感じられる区間でしたよ。
それでは、7日目の「雀宮宿」散策からスタートです。
日光街道の旅 7日目
歩き旅の前に
宇都宮駅の東側を訪れると、2023年8月26日に開業したライトライン(LRT:次世代型路面電車)が走っていました。道の真ん中を走る姿はとてもおしゃれですね。ライトラインは、交通手段としての利便性だけでなく、都市の景観にも一役買っているようです。
このライトラインは、宇都宮市と芳賀町を結ぶ公共交通機関として誕生しましたが、すでに話題を呼んでいるのが宇都宮駅の西側への延伸計画。この計画が実現すれば、さらに多くのエリアが結ばれ、地域の活性化、観光客や通勤者にとっては便利になること間違いなしですね。
雀宮宿 つづき
8:30
7日目旅のスタートは「雀宮駅」からです。
あいにくの曇天模様ですが、雨は降らないとの予報です。
駅前からまっすぐ進むと、日光街道にぶつかります。この道の突き当たりが、昨日の歩き旅を終えた場所となります。
旧仮本陣芦谷家
「雀宮駅前」交差点の一角には「旧仮本陣芦谷家」があります。
当時の面影を残す風格ある建物ですね。
雀宮宿には、諸大名や幕府の上級役人が宿泊する本陣・脇本陣もあったが、現存するのは嘉永元年(1848)再建のこの仮本陣のみ。
本陣跡
昨日歩いてきた道を少し遡って、酒屋さんの駐車場の一角に「雀宮宿本陣跡」の石柱があります。
昨日は辺りが暗かったこともあり、ここに石碑があったことに気付きませんでした。
雀宮宿
本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠が38軒もあったんだブ!この地は、近くにあった雀宮神社にちなんで「雀宮村」と改称され、後に江戸幕府によって宿駅にされたんだブよ。
道中でみつけた、蔵を利用した野菜の直売所です。
雰囲気ありますね。立ち寄ってみたくなります。
雀宮神社
直売所のすぐ近くにある「雀宮神社」です。
「雀宮神社」は、地域の歴史や文化が詰まった由緒ある神社です。創建は997年、源義家によるものとされ、1713年には、東山天皇から「雀宮」と金文字で記された勅額が下賜されます。この勅額が社頭に掲げられたことで、日光社参に向かう将軍家や諸大名が神社の前で下馬し、参拝を行うようになったといわれています。
ついに7日目にして、日本橋から100km地点に到達!ゴールまで残り40km。まだまだですね。
この付近で旧日光街道は一本西側に位置する小路へと入っていきます。
お店の脇、間を通り抜けて、突き当りを右折。再び4号に戻ります。
4号線沿いで宇都宮市街も近くなってきており、ほぼ住宅街です。石倉のあるお家なども点在しますが、往時の風情はほとんどかんじられませんね。粛々と国道を歩きます。
この辺りの西側には「北宇都宮駐屯地」があります。滑走路があるので長いですね。
雀宮神社から2.2km程歩いた左手に寿鶴 薬師堂が現れます。目立つ色使いですね。
菅原神社
更に300m程歩いた右手に「菅原神社」の鳥居が現れます。
菅原道真を祀る天神社です。この辺りには高札場もあったようです。
将軍参拝のさいには境内には仮のお茶屋が設けられました。
1km程歩くと、JR線の踏切が現れます。
「江曽島の一里塚」があったとされるこの場所も、今では塚も案内板もありませんでした。
ただし、交差点の名前が「一里」、踏切が「一里踏切」と名付けられていました。
この地に一里塚が存在していた証を伝えるものですね。
道中に大きな榎の木があったので一枚。
「東京街道」の標識。命名のいきさつにはさまざまな背景があるのでしょうが、ここはやはり「日光街道」でよかったのでは…違和感しかない。
不動堂
その先、不動前交差点の一角に「不動堂」があります。
宇都宮朝綱が造立したとされる不動明王が安置されているとのこと。
不動尊交差点を斜め左に進んで行きます。
日本橋から17番目の宿場町「宇都宮宿」
蒲生君平勅旌碑
東武宇都宮線のガードをくぐった辺りが宇都宮宿の南口だったようです。
右手には「蒲生君平勅旌碑」が現れます。
蒲生君平
江戸時代後期の儒学者、尊王論や海防論を唱えた人物なんだブ!天皇陵の調査を行い、実学を重んじる姿勢で社会に大きな影響を与えたんだブよ。「前方後円墳」という言葉を初めて使ったのも彼で、学問と実務の両面で多大な貢献をした人物なんだブ!
雀宮駅を出発してまだ7km地点ですが、既に妻はダウン寸前。ここで少し休憩を取ります。昨日の疲れがまだ残っていたようです。頑張れ妻!
台陽寺
350m程あるいた左手に「台陽寺」があります。
戊辰戦争で戦死した宇都宮藩士の墓がある。奥まったところに本殿があります。
熱木不動尊(ねぎふどうそん)
1059(康平2)年初代下野国司宇都宮宗円が欧州征伐の戦勝を祈願して彫った不動尊が祀られています。宇都宮城乾の守護仏でした。
一向寺
この地域の歴史を語る上で欠かせないのが、宇都宮景綱によって開基されたと伝えられる一向寺です。
特に注目すべきは、国の重要文化財に登録されている阿弥陀如来坐像です。この像には、古くから「危機が迫ると汗をかいて知らせる」という不思議な言い伝えがあります。
一向寺近くにある菅原神社です。
学問の神「菅原道真」を祀る天神社。宇都宮城西の守護神でした。
街中を歩いていると、ところどころに旧町名やその名前の由来を解説した説明板が立っていました。これらの案内板は、その地域の歴史や文化を感じることができる貴重な資料です。かつての町名には、地形や土地の特徴、地域の産業、信仰に由来するものが多く、それぞれに独自の物語があるようです。
北上していくと裁判所前交差点に突き当たります。ここを右折(東)し、宇都宮駅方面に進みます。
右折して進むと、ビルの谷間を貫く片側3車線の広々とした道路が、駅前まで一直線に続いています。宇都宮の発展ぶりに目を見張ります。久しぶりの訪問ですが、都会らしい雰囲気を強く感じました。歩道も広く整備されており、歩きやすい環境が整っています。
右折後、次の信号の交差点付近にかつての「本陣跡」があります。
11:30
交差点に立っている「宇都宮宿本陣跡」の説明板です。
ここは「奥州街道」との追分でもあります。
宇都宮宿
日光街道と奥州街道が交差する重要な地点にあった宿場町なんだブ!本陣が2軒、脇本陣が1軒、旅籠が42軒もあったんだブよ。ここは宇都宮城の城下町としても栄え、江戸時代には多くの旅人が行き交う交通の要衝だったんだブ。特に日光街道では、最も賑やかな宿場町として繁栄していたんだブよ!
少し短いですが、先々の旅のプランも踏まえ7日目の旅はここまでとします。お疲れ様でした。
番外編
本陣跡から宇都宮駅に向かいます。この地点から2kmとそれなりに距離もあります。
疲労でこれ以上あるきたくないという方にはバスをお勧めします。駅前の大通りにはたくさん走っていましたよ。
妻の疲労が激しかったのですが、途中食事を摂るために歩いて行きます。
宇都宮名物といえば「餃子」ですね。この日昼食で立ち寄ったのは、宇都宮駅までの道のりの、ほぼ中間地点にあります「来らっせ」です。
宇都宮餃子会が運営していて、常設店舗・日替わり店舗・お土産コーナーの3つの店舗に分かれています。私たちが入ったのは「常設店舗」です。
常設店舗では「宇都宮みんみん」「めんめん」「香蘭」「龍門」「さつき」の5つの人気店の餃子が堪能できます。色んなお店の色んな種類の餃子の食べ比べができるのも、ここだけではないでしょうか。
餃子だけで満腹です。
平日ではありましたが、たくさんのお客さんがいました。
食事を終えて、外に出ると道向かいに「宇都宮二荒山神社(うつのみやふたあらやまじんじゃ)」が見えます。
大きな鳥居とその後ろに見える100段を超える石段。登ってみようかとも思いましたが、石段の途中で妻が動けなくなる可能性も考え、また次の機会に。ということになりました。
宇都宮二荒山神社
約1600年前に第10代崇神天皇の皇子・豊城入彦命を祀ったのが始まりなんだブ!平安時代には「下野国一の宮」として多くの人々に崇敬されていたんだブ。源頼義や徳川家康などの名だたる武将たちも、ここで戦勝祈願を行った歴史ある神社なんだブよ!
宇都宮駅前にはシンボルの餃子像が。女神だったんですね。地元大谷石を使用しています。
御宿場印「宇都宮宿」を手に入れた!
宇都宮駅構内、改札手前にある観光案内所で「宇都宮宿」の御宿場印を手に入れました。
場所 :宇都宮市観光案内所
営業時間:8:30~20:00
休業日 :年末年始(12月29日〜1月3日)
日光街道7日目 まとめ
日光街道7日目は「雀宮宿」から「宇都宮宿」まで約3時間、8kmの道のりでした。見どころは少なかったですが、おいしい餃子を堪能できました。
みどころ
- 雀宮宿
- 雀宮神社
- 宇都宮宿
- (来らっせ)
エリアの特徴
- 平坦でまっすぐな道が続く。
- 国道沿いで交通量は多め。市街地は片側複数車線の大通り。
- (どこに行っても餃子がある。)
今日のウォーキング
日光街道を歩き旅の7日目の記録です。今回も平坦な道が続きました。交通量の多い大通り沿いを歩きます。街道歩き終了地点から宇都宮駅までの道のりも長かったこともあり、この日は結局17kmも歩いていました。
コメント