こんにちは。ぶ~ちゃんです。
日光街道歩き旅6日目3回目です。
6日目2回目は「小金井宿」を抜けたところで終わりました。
今回は「石橋宿」への道中、「石橋宿」を経て「雀宮宿」」までを歩きます。
今回の道中は、宿場の雰囲気を感じるものに少し欠けましたが、「下石橋一里塚」や徳川ゆかりのお寺「開雲寺」など歴史を感じる場所も点在していました。
日光街道の旅 6日目-3
石橋宿への道中
14:00
しばらく歩いて「自治医大駅」周辺の住宅地に差しかかったところから、国道より一本西側にある道がかつての日光街道になります。
進んで行くと下野市役所の敷地に入ります。敷地内に入ると日光街道の案内板が立っています。
航空写真で示される、日光街道は庁舎内を貫通しています。
街道上と知っていながらわざわざ庁舎を建てたということですかね。旅人の立ち寄りどころにしたかったのでしょうか。
この日は休日だったので、市役所をぐるっと迂回して先に進みます。
国道沿いではないため、交通量はほとんどなく、周囲には田畑が広がります。
稲穂がたわわに実り、重さで垂れ下がっている様子がなんとも風情豊かです。一面に広がる黄金色の景色に、二人とも思わず感動です。
旧日光街道 赤道(あかみち)看板
道を突き当りまで進むと「旧日光街道 赤道看板」があります。
「赤道(あかみち)」とは、登記簿上で地番が記載されていない土地の一種であり、かつて道路として利用されていた土地のことを言います。
木々の間に道が続いていますね。険しそうですが、自然の中を歩く道は街道旅の醍醐味の一つです。こうした小道は歴史を感じられるだけでなく、時代を超えて旅人が歩んだ道を自分の足で辿っている気持ちにもなりますし、冒険心がくすぐられます。日光街道ではこうした未舗装の道が少ないようですけどね。
更に道は険しくなりますが、この先に「下石橋一里塚」があるんです。
足の踏み場を探しながら一歩ずつ進んで行きます。
江戸日本橋から二十三里目「下石橋一里塚」
その先にまた雑木林があります。
左手に隆起した丘が現れます。これが「下石橋一里塚」です。
消滅してしまったものとして語られていたそうです。
その後すぐに右折して、再び国道沿いの道を進んで行きます。
丸大食品工場脇を通り抜けていきます。
長屋門
その途中、雰囲気のある建物が見えてきました。
「とんかつ合掌」です。先ほど小金井のマクドナルドで食事を摂ったばかりなので立ち寄りませんでしたが、ここのとんかつは絶品だそうです。
歩き旅では食事のタイミングを合わせてプランを立てるのは難しいですね。
その隣に並ぶように立っている長屋門は「関宿城の移築大手門」で、とんかつ店が所有しているそうです。
352号線との交差点の少し手前に石仏石塔が並んで立っていました。「夕顔橋の石仏群」と呼ばれています。石橋はかんぴょうが特産なので「夕顔」と名付けられたのでしょう。
日本橋から15番目の宿場町「石橋宿」
愛宕神社
15:00
352号の高架をくぐって1km程歩いたところにある「愛宕神社」です。
ここが「石橋宿」の南口付近になります。
広々とした境内には静寂が漂い、心が落ち着くような穏やかな雰囲気が広がっていました。
社務所の前には、堂々と立つ樹齢約200年、樹高約20メートルのケヤキがありました。このケヤキは「下野市名木30選」にも選ばれているそうです。
伊沢脇本陣跡
この写真のあたりに「伊沢脇本陣」があったようです。
町並みも含め、宿場町だった雰囲気はあまり感じられませんね。
伊沢本陣跡
石橋駅前交差点の少し手前に「伊澤茶舗」があります。
ここが伊沢本陣があった場所です。
石橋宿
石橋の地名には本陣が1軒、脇本陣が1軒、そして旅籠が30軒もあったんだブ!昔は「上・中・下大領」「上・下石橋」「前原村」の六ヶ村が集まる大きな村で、とても賑わった宿場だったらしいんだブね。
石橋駅
15:30
少し寄り道して石橋駅西口に行きます。
石橋町とドイツ・シュタインブリュッケン村は、「石=シュタイン」「橋=ブリュッケン」という共通の意味をもつ名前の縁から姉妹都市協定を結びました。シュタインブリュッケン村が属するヘッセン州には、グリム兄弟の出身地があることから、石橋町も「グリムのまちづくり」を推進してきました。
この交流の象徴となるのが、駅前の階段に設置されたグリム童話をモチーフにした時計塔です。1995年に造られたもので、毎日午前8時、正午、午後5時に動き出します。
小山を出発してここまで約20kmを歩いてきました。少し疲労の色が見え始めた妻。ここから雀宮まで約7km。既に体力消耗している身体には厳しいと思い「今日はここまでにする?」と提案してみましたが、いつもの通り「進む!」ときっぱり。頼もしさを感じる反面、学習能力も疑います。が、こうなった妻は止められません。再び気合を入れ直して進みます。妻頑張れ!
開雲寺
駅の近くには徳川ゆかりのお寺「開雲寺」があります。
江戸時代、将軍の日光参拝時の休憩所となった格式ある寺院です。
境内では様々な場所で葵の紋が見られます。
日野大納言にあてた徳川三代将軍家光の書状や、道中に使用する葵の御紋入り道中茶釜が寺宝として伝わっています。
下野市文化財に指定されている梵鐘は、戦時中の金属類回収令による供出をまぬがれた数少ない梵鐘です。
御宿場印「石橋宿」を手に入れた!
ここから「グリムの館」に寄り道します。
日光街道から西に800m程外れた場所にあるのですが、疲労した身体には堪えます。
ここに立ち寄ったのは「石橋宿御宿場印」を手に入れるためです。
「グリムの館」は、雑木林を活かした公園内にある複合施設です。姉妹都市であるドイツやグリム童話に関する展示施設の他、多目的ホールも併設されているなど様々な活動に利用できる施設になっています。
場所 :グリムの館
営業時間:9:00~17:00
休業日 :毎週火曜日、毎月末日 年末年始
グリムの館まで往復約1.5km。再び日光街道に戻り、下古山交差点の少し手前。
この辺りに「下古山一里塚」があったと言われています。何の形跡もありませんね。
鞘堂地蔵尊
下古山交差点から800m程進んだ右手に「鞘堂地蔵尊」があります。
1380年の小山宇都宮の戦い(茂原の戦い)で、村人たちは戦死者の落とした鞘を拾い集めて埋葬し、戦没者の供養として石造地蔵を安置しました。
星宮神社
さらに250mほど進むと、左手に「星宮神社」が見えてきます。
鮮やかな朱塗りの鳥居がひときわ目を引くこの神社は、鞘堂新田村の鎮守として親しまれてきた場所です。
その先に北関東道の高架が見えてきます。その右手前に「日光東往還」の追分があります。
高架をくぐって進んで行きます。
1km程歩いて国道右側に「茂原正観音道」と刻まれた石標が立っています。
観音堂には木造の聖観世音菩薩立像が安置されており、堂内には雀宮宿の繁栄を描いた多くの絵馬が奉納されているということです。
ここから線路を越えて約1km程歩きます。体力も時間もないので、寄り道せずに先に進むことにしました。
しばらく、左手にある陸上自衛隊宇都宮駐屯地に沿って歩きます。
17:30
東京から99km地点を示すキロポストが現れました。
雀宮駅まではあと少しですが、陽がすっかり傾き、辺りは徐々に暗くなってきました。通りを行き交う車もライトを点灯し始め、街頭にも明かりが灯り始めました。
その先、安塚街道入口交差点辺りがかつての雀宮宿の江戸(南)口で、当時は木戸と土塁が設けられていたそうです。歴史の面影を感じながら進むと、ついに雀宮宿に到着です。
雀宮宿に入ってすぐ、左手奥に「正光寺」が見えてきます。この寺院は正徳五年(1715年)に開基され、高さ二尺五寸(約75cm)の阿弥陀如来像を本尊としています。境内には地蔵尊や牛頭天王社も祀られています。
50m程奥まったところでしたが、散策は私一人。妻には寄り道をする体力は残されておらず、街道沿いで待っていました。
17:45
辺りもだいぶ暗くなってきて、これ以上の撮影は難しくなってきたので、まっすぐ「雀宮駅交差点」まで進んで本日の街道歩きは終了です。
この日は隣駅の宇都宮で宿泊です。
晩御飯には宇都宮名物の「餃子」を楽しみにしていたのですが、どこのお店も長蛇の列。そんな状況にもかかわらず、妻は餃子を求めてさらに足を酷使する姿に少し心配しましたが、人はどんな状態でも食のためなら動けるということを学習しました。
日光街道6日目の旅はここまでとします。次回は雀宮宿の散策から紹介していきたいと思います。どうぞお楽しみに!
日光街道6日目 まとめ
日光街道6日目は「小山宿」をスタートし「新田宿」「小金井宿」「石橋」を経て「雀宮宿」まで約9時間、21kmの道のりでした。徳川の歴史を左右する軍議「小山評定跡」や国指定史跡「小金井一里塚」は見どころです。特に寄り道して散策するような場所もなく、国道沿いを延々と直進するエリアでした。
みどころ
- 小山評定跡(小山宿)
- 小金井一里塚
- 下石橋一里塚
エリアの特徴
- 平坦でまっすぐな道が続く。
- 国道沿いで交通量は多め。
- 線路が並走しているため、エスケープには困らない。
※石橋駅~雀宮駅間は少し距離があるので注意。
今日のウォーキング
日光街道を歩き旅の6日目の記録です。今回も平坦でかつまっすぐな道が続きました。街道を進んだ距離自体は短めですが、小山宿の散策、グリムの館への寄り道(と、晩御飯探し)で、歩数や総距離が増えています。
コメント