日光街道歩き旅!5日目②「野木宿」

日光街道歩き旅

こんにちは。ぶ~ちゃんです。

日光街道歩き旅5日目2回目です。

前回は「古河宿」を散策して終わりました。
今回は「野木神社」「野木宿」を経て「間々田宿」に続く道中を進みます。

旅は栃木県に入ります。南の玄関口であり県内で一番小さな町「野木町」を歩きます。
この地域には、石器や土器が発掘されるなど、古代からの歴史の痕跡が残されています。さらに、明治時代に建設され、国の重要文化財に指定されている「野木煉瓦窯」も見どころの一つです。
約1600年前に建立された「野木神社」や、鎌倉時代の板碑を有する「満福寺」など、歴史スポットが点在しています。

それでは、5日目2回目の日光街道の旅をご紹介していきたいと思います。

日光街道の旅 5日目-2

野木宿への道中

9:45
この辺りの住所は「松並」です。
野木宿に続くこの街道沿いは、松並木があったと考えられています。

古河宿の出口より600mほど歩いた右手に「塩滑地蔵菩薩」がありあます。
治したい部分に塩を塗ると病気や痛みが癒えるという言い伝えがあります。

対面側にあるショッピングモールを過ぎたあたりから栃木県に入ります。茨城県はとても短かったですね。

野木神社

野木神社参道入口の鳥居が現れます。
この鳥居をくぐり参道を400mほど行くと本殿があります。
野木宿御宿場印」は野木神社でしか手に入らないので、参道を進んで行きます。

真っすぐに続く石畳の道を、木々に囲まれながら心地よく歩いていくと、やがて二の鳥居が目の前に現れます。さらに進むと、遠くに神社の姿が見えてきます。

三の鳥居です。ようやく辿り着きました。鳥居の左手前に手水舎があります。
鳥居の右手にはフクロウのモニュメントと案内板があります。
なんとこの神社にはフクロウが生息しているんです。フクロウの子育て時期には見に多くの人が集まるそうですよ。

ブーちゃん
ブーちゃん

野木神社

1600年前に仁徳天皇の時代に建てられたブ!1200年前、坂上田村麻呂の東征で今の場所に移されたんだブ。現在の神殿は1819年に古河藩主の土井利厚が再建したものブ!有名な武将や源頼朝、乃木希典もここに参拝したんだブ。乃木希典は「のぎ」の縁で日露戦争の前にサーベルを奉納しているんだブ!

境内には、坂上田村麻呂が凱旋したときに、植えられたという公孫樹(大いちょう 左)があります。樹齢は1200年。『とちぎ名木百選』に選ばれています。
その近くにはフクロウが巣を作って暮らしているケヤキの大木(右)もあります。

御宿場印「野木宿」を手に入れた!

10:30
野木神社の社務所で「野木御宿場印」を手に入れることができます。
社務所は本殿の横にあります。

場所  :野木神社社務所
営業時間:9:00~16:30

休業日 :なし

日本橋から10番目の宿場町「野木宿」

10:45
野木神社から日光街道に戻ります。日光街道に出たところに「野木宿入口」案内板と馬頭観音があります。ここは野木宿の木戸跡(入口)で土塁と矢来柵があったそうです。

野木宿の街道筋です。
このような景観の道がしばらく続きます。道は整備されて歩きやすいのですが、車の通りが多くて風情とは程遠いですね。往時の宿場町を感じさせてくれる面影もほとんど残っていません。

木戸跡より250m程歩いた先に説明板があります。案内板には「野木宿」の説明が記載されています。
ここに本陣があったようです。

ブーちゃん
ブーちゃん

野木宿
野木宿は本陣1、脇本陣1、問屋場4か所、旅籠中2軒、小23軒の小さな宿場だった

本陣の道を挟んだ向かい側には、かつて脇本陣があったようですが、その案内板は見つけることができませんでした。

本陣から約250メートル歩いたところに「満願寺」が見えてきます。
この寺は、野木宿の旅宿に問題があった際、休泊所としても利用されていたと言われています。

江戸日本橋から十七里目「野木一里塚」

その先の交差点の一角に「野木一里塚」の案内板が立っています。
江戸から十七里です。案内板を立ててもらっているだけでもありがたいです。

一里塚より650m程歩いた先に道標と説明板があります。
道標には「是より太平山道」と刻まれており、この道は栃木で例幣使街道につながり、日光への短絡ルートでもありました。

道標からさらに約200メートル進むと「観音堂」があります。境内には、十九夜供養塔や馬頭観音世音などが祀られています。

観音堂のすぐ近くには猿田彦大神も祀られており、この辺りが野木宿の北口だったようです。

カーブを過ぎると、またしばらく真っ直ぐな道が続きます。

途中には、どっしりとした長屋門のお宅があり、存在感に圧倒されます。

アップダウンがなく、単調な道が続くため、体力的な消耗は少なくて良いのですが、見どころが少なく、同じような景色が続くため、少し退屈に感じてしまうこともあります。
そんな時に、これまでの歩き旅を振り返りながら、妻との会話を楽しむことができるのは、夫婦での歩き旅ならではの楽しみですね。

野木宿の北口から3km程歩いたところにある愛宕神社がありました。
塚上に鎮座する姿が堂々としています。
古河宿にあった金刀比羅宮も高い場所に鎮座している姿が似ていますね。

その通りを少し進んだ先には、小さな観音堂があります。
同じ広場内には「十九夜」「十九夜塔」「廿三夜塔」と刻まれた三つの石塔が並んでいました。

再び長屋門の登場です。風格の高さを感じさせてくれますね。

法音寺

12:30
観音堂から500m程歩いた交差点の一角に、立派な仁王門のある「法音寺」があります。

山門を抜けると、弘法大師像と月待塔が並んでおり、その左手、中門の前には芭蕉句碑が建てられていました。お庭も手入れが行き届いていて気持ちが良かったです。

法音寺の道を挟んだ向かいが「とろ屋跡」です。筑波山を正面に見ることができ、数件の茶屋があったということです。芭蕉も賞味した「とろろ汁」が名物でだったそうです。

この後、交差点の一角にあったコンビニでお昼ご飯を食べました。やはり昨日のウォーキングの疲れが残っていたようで、この時点で少し疲れを感じ始めていました。
しっかりと食事を摂り、水分補給をして体力を整えます。長旅には休憩と栄養補給が大切ですね。

友沼八幡神社

さらに、国道4号線を挟んで「とろ屋跡」の向かい側、法音寺の斜向かいにあるのが「若宮八幡宮」です。

この「友沼八幡宮」は、源頼義・頼家父子が勧請したもので、友沼村の総鎮守となりました。
徳川将軍が日光参詣の際、古河城を出発して最初に休憩した場所でもあり、その格式の高さが伺える神社です。

本殿の裏手にそびえ立つケヤキの木は、推定樹齢560年と言われています。

神社を後にし、約500メートル歩くと、小山市との境界を示す看板が見えてきます。

小山市に入ったところで、今回の日光街道5日目2回目の旅はここまでとします。次回は「間々田宿」そして「小山宿」へと歩みを進めていきますので、どうぞお楽しみに!

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