こんにちは。ぶ~ちゃんです。
日光街道歩き旅5日目1回目です。
4日目は「古河宿」に入り少し宿場内を少し散策して終わりました。
5日目となる今回は「古河宿」散策の続きから「野木宿」「間々田宿」を経て「小山宿」まで約16kmを歩きます。
いよいよ日光街道の歩き旅も折り返し地点に差しかかる5日目。この日は、「野木神社」「乙女不動原瓦窯跡」や「間々田八幡宮」に寄り道しながら、かつての街道沿いの景色や風情を堪能します。
今回歩く「古河」は長い歴史を持つ街で、室町時代には古河公方の本拠地として重要な役割を果たしました。江戸時代には古河藩の城下町として発展し、日光街道の宿場町として栄えた場所です。
前日に引き続き街を歩いてみると、当時の面影が随所に残っていました。
4日目の疲れが少し残っていたこともあり、私たちのペースはいつにも増してゆっくりとしたものになりましたが、街道を歩きながら感じる空気は、心身を癒してくれました。
それでは、5日目の「古河宿」散策の続きです。歴史深いこの町の魅力を感じながら、古河の街並みをゆっくり歩いて行きます。一緒に楽しんでいきましょう。
日光街道の旅 5日目-1
古河宿 つづき
8:30
朝食バイキングを堪能し、元気に旅を再開です。
しかし、昨日の長距離歩行の疲れがまだ残っていて、体が少しだるいです。
40,000歩も歩くと、いつもならかかとにマメができてしまうのですが、昨日はかかとサポーターを使用したおかげで、ダメージは最小限に抑えられ、快適に歩けています。
古河駅西口です。
古河の歴史は古く、石器時代から人が定住した痕跡があり、また駅前の万葉集の歌碑にあるように、奈良時代にも登場する。 室町時代には5代に渡り足利の古河公方が統治していた。 江戸時代に入ってからは日光・奥州街道の要として小笠原秀政・土井利勝などの徳川譜代大名の城下町として栄える。
駅前にどうどうと目立つ石碑が目に留まった。これは万葉集(約1200年前編さん)に詠われている古河の地の歌集を刻んだ碑である。
JR古河駅西口から西へ約400メートル歩くと「古河駅西口入口」交差点に出ます。前日に歩いた南北に通る大通りが旧日光街道です。
交差点の角には「古河城下高札場址碑」があります。
高札場の道路向い側に「古河城下本陣址」の碑があります。
この周辺は脇本陣、問屋場などがあり古河宿の中心地だったのでしょうね。
御宿場印「古河宿」を手に入れた!
交差点を西側に向かって50m程歩くと「鈴木園」があります。
ここで「古河御宿場印」を手に入れることができます。
※肴町通り「坂長」でも入手できます。昨日通った立ち寄ったのが閉店後でした。
場所 :鈴木園
営業時間:9:00~18:00
休業日 :月曜・夏季休業・年末年始等
交差点に戻り、北に150mほど歩くと「金刀比羅宮」が現れます。
一段高い場所にあるので目に留まります。幸福神として信仰されていて、当時は立派な装飾が施されていたようです。
少し歩くと「左 日光道」と刻まれた道標が歩道の真ん中に現れます。
突然直角に折れるかぎ型の道は、城下町や宿場町に良く見られる枡形でしょうか。
そして交差点の対角にある常夜灯型の「日光街道道標」です。
この道標には「右 江戸道」「左 日光道」と刻まれており、古河市の指定文化財に指定されています。
尊勝院
ここから少し寄り道して、交差点を北に向かいます。
100mほど進んだ右手に現れるのが「尊勝院」です。
手入れの行き届いた、綺麗で静かなお寺でしたよ。
尊勝院
このお寺は古河公方にゆかりがある歴史的な場所なんだブ!もともとは足利尊氏のお父さん、貞氏が不動明王を信仰して、不動堂を建てたのが始まりだブ。それが古河に移転したのは、足利成氏が移動したからなんだブ。このお寺には、古河公方の領地が東京の品川まで広がっていたことを示す「足利義氏充行状」が残されていて、市の文化財として守られているんだブ!
神宮寺
交差点に戻り、日光街道方面(西)に50m程進んだ右手に「神宮寺」があります。
大安3年(1446年)に創建され、1455年に古河公方として知られる足利成氏が鎌倉から移り住んだ際に一緒に移された由緒あるお寺です。寺には十一面観世音菩薩が安置されていて、この仏像は茨城県の有形文化財に指定されています。
9:15
その先の十字路を右に曲がると「よこまち柳通り」と刻まれた石碑があります。
この通りは江戸時代に「横山町通り」と呼ばれ、古河宿の北の玄関口として旅籠や茶店が立ち並び、大いに賑わっていたということです。
道の左手には「古河提灯竿もみ祭り発祥地碑」が建っています。
「古河堤提灯もみ祭り」は、長い竹竿の先に提灯をつけ、大勢がその提灯の火を消し合う激しい祭りです。関東の奇祭とも呼ばれており、元々は野木神社の神事として行われていた竿もみが、ここ横山町通りでも行われるようになったそうです。
その先もしばらく、趣のある町並みが続きます。途中にある「武蔵家本店」は、創業百年を誇る鰻料理の老舗です。この辺り一帯はかつて遊郭があった場所でもあります。
朝早い時間だったため、車の通りも少なく、風情ある建物が点在する通りを気持ちよく散策できました。
正麟寺(しょうりんじ)
このお寺は、当時の古河城主であった小笠原家によって創建されました。
江戸時代後期には古河藩の家老である鷹見泉石の墓も建てられています。
境内は綺麗に手入れされており、格式の高さを感じさせます。
本成寺(ほんじょうじ)
このお寺の特徴は、古河城の北門を移築したと言われる赤い山門と、大きなイチョウの木です。また、立派な鐘楼堂もあります。境内には、古河藩の5代藩主土井利益の母「法清院殿」や、日本で初めて人体解剖を行った蘭方医「河口信任」の墓もあります。
お寺は綺麗に手入れが行き届いており、とても清々しい気持ちになれました。
9:45
本成寺から少し歩いた交差点に灯篭があります。ここで古河宿ともお別れです。
交差点を渡った先に「史蹟 栗橋道」の道標があります。しかし、なぜここに立てられているのかが少し不明です。栗橋に至る道であれば「日光街道」で十分な気がしますし、「史蹟」とするならば案内板などの詳細情報も欲しかったですね。
再び261号線を、次なる宿場町「野木宿」に向けて歩いて行きます。
古河宿の散策が終わり、道中に差し掛かったところで、日光街道の5日目1回目の旅は一旦ここまでとします。次回は、歴史深い「野木神社」と、次なる宿場町「野木宿」をご紹介します。どうぞお楽しみに!
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