日光街道歩き旅!4日目④「栗橋宿」「中田宿」

日光街道歩き旅

こんにちは。ぶ~ちゃんです。

日光街道歩き旅4日目4回目です。

前回、幸手宿からの道中を歩き「栗橋宿」に入りました。
今回は「栗橋宿」内を散策し、「中田宿」を経て「古河宿」に続く道中になります。

「栗橋宿」は埼玉六宿最後の宿場町です。江戸への出入りを取り締まる日光街道唯一の関所が置かれた宿場町でもありました。
利根川の対岸に位置する「田中宿」は、「栗原宿」との合宿の形態をとっており、両宿を合わせて一宿とすることもあるそうです。

日光街道の旅 4日目-4

日本橋から7番目の宿場町「栗橋宿」

16:00
「栗橋宿」に到着しました。飲み物がなくなってしまい、道中がとても長く感じられたので、やっと到着できてほっとしました。この時期は日が長いので、今の時間でもまだ空は明るいです。

ブーちゃん
ブーちゃん

栗橋宿

本陣が1軒、脇本陣が1軒、旅籠が25軒もあったブ!利根川の渡し場として賑わっていただけじゃなくて、日光街道で唯一関所があって、関東平野の北側を守るために超重要だったんだブ!

炮烙地蔵(ほうろくじぞう)

栗原宿に入ってすぐ右手に「炮烙地蔵」があります。
早速、栗原宿に由縁のあるものですね。
地蔵はお堂の中に祀られています。江戸時代に関所を破った人たちが処刑された場所に、供養のために建てられたと伝えられています。

栗原宿」の街道筋です。静かなで、レトロな雰囲気を残す街並みでしたよ。交通量はほとんどありませんでした。

江戸後期から明治時代にかけて建てられた古い建物があちこちに残っています。

顕正寺

栗橋宿を開き、代々栗橋宿の本陣を務めていた池田鴨之介の墓(市指定文化財)があります。
そして八福神「毘沙門天」が祀られています。栗橋では七福神に「吉祥天」を加えて「くりはし八福神」としているようです。

浄信寺

梅澤太郎右衛門の墓地があります。戦国時代に北条氏の家臣となり、栗橋宿の開発と発展に寄与した人物です 。
このお寺には、くりはし八福神「寿老人」が祀られています。
手前の木で遮られて本堂見えていませんが悪しからず。

深廣寺(じんこうじ)

栗橋宿を開いた並木五郎平の墓(市指定文化財)があります。
また人々の供養のために建てられた「六角名号塔(ろっかくみょうごうとう)」(市指定文化財)がある。
くりはし八福神の恵比須。

ブーちゃん
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六角名号塔
六角形の断面を持つ石塔が21基並んでるんだブ!「南無阿弥陀仏」の6文字がそれぞれの面に刻まれてるブ。高さは約360センチメートルもあるんだブ!二代住職の単信上人が伊豆から大石を運んで20基を建てて、後に九代住職の法信上人が1基を追加したんだブ!

古い木造の家と石でできた蔵のある通りです。風情がありますね。

この交差点を左に曲がると、JR東北本線の「栗橋駅」に到着します。
本当はここで旅を終える予定でしたが、妻が「古河駅近くに宿を予約しているし、まだ明るいから古河まで歩いて行こう」と言い出しました。
ついさっきまで水分不足でバテていた人とは思えませんが、こういう時は静かに妻に従うのが一番です。ここから古河までは約8kmで、2時間以上かかります。歩きすぎじゃないかなぁ…膝が心配です。

ちなみに、栗橋駅東口の公園には、源義経の妻「静御前の墓」があります。

御宿場印「栗橋宿」を手に入れた!

16:30
この辺りにある「あづまや靴履物店」で栗橋宿の御宿場印を頂きました。「幸手市勤労福祉会館」で「幸手御宿場印」を手に入れることができます。

場所  :あづまや靴履物店
営業時間:9:00~18:00
休業日 :毎週月曜日

本通り商店街の北部です。蔵造りの古民家があります。

栗橋関所跡碑

房川渡中田関所(ぼうせんのわたしなかだせきしょ)は、江戸時代に日光街道を通る人々の出入りを監視するための関所でした。治水工事の影響で何度か場所が移動され、現在は空き地のような場所にひっそりと残っています。この関所は、関宿と並んで江戸の北方を守る重要な拠点でした。

利根川の大規模な堤防工事が進行中で、栗橋宿の街道の一部が堤防として埋められる予定です。
これに伴い、平成24年から栗橋宿跡で発掘調査が行われています。これまでに、古代の土器や石器、江戸時代の生活用品などが発見されています。

八坂神社

坂道を登った先にあるのが、栗橋宿の総鎮守「八坂神社」です。
数年前に堤防工事の影響で現在の場所に移転しました。
境内には「招福の鯉」と「除災の鯉」という珍しい二体の狛鯉の像があります。

ブーちゃん
ブーちゃん

八坂神社

慶長年間(1596~1615)の利根川大洪水の時に、元栗橋(今の茨城県側)から神輿が鯉と亀に守られて無事に流れ着いたことで、神の力を感じた人々が創建したと伝えられているブ!

茨城県との県境を流れる「利根川」です。
利根川橋を渡ると、茨城県古河市に入ります。

かつて江戸を守る軍事的理由から、大きな河川に橋を架けることが許されていませんでした。そのため、日光街道を行き来する人々は、利根川を渡し舟で渡っていたそうです。

手すりには埼玉県の県鳥である「シラコバト」のプレートがはめ込まれています。

大河だけあって渡るのにも時間がかかります。
橋は大きなトラックなどが通ると揺れるので苦手です。長い橋は特に。景色は良いですが、早く渡り終えたい一心です。

この場所には橋がなく、「房川の渡し」と呼ばれる渡し舟が使われていました。将軍が日光社参りをする際には、51艘の舟を並べて舟橋を作り、その上を渡っていたそうです。

茨城県側の手すりには茨城県の県鳥である「ヒバリ」のプレートがはめ込まれています。

埼玉県の隣に茨城県?と違和感がありますが、地図上では局所的にこの栗橋と古河が隣接しています。

橋を渡ったあとすぐ左折して土手沿いの道を下っていきます。

一つ目のカーブには「中田御関所跡」の案内板があります。
最初に関所が設けられたのはこの場所で、その後、利根川の対岸にある栗橋に移されたそうです。ここは、日光街道で唯一、関所と渡船場の両方があった場所です。

カーブを抜けると、しばらくの間まっすぐな道が続きます。

日本橋から8番目の宿場町「中田宿」

その先の交差点にある火の見櫓の下に、中田宿の説明板があります。

ブーちゃん
ブーちゃん

中田宿
本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠6軒があったブ。利根川の河畔にあって、対岸の栗橋宿とは渡船で結ばれていたブよ。栗橋宿と中田宿は合わせて1つの宿駅として扱われていたんだブ!

日光街道と東北本線は並走していますが、中田宿周辺には駅がありません。
栗橋駅に引き返すか、古河駅まで進むかになります。

鶴ヶ峰八幡神社

17:00
左手に見えてくるのが、中田宿の鎮守であった「鶴ヶ峰八幡神社」です。
源頼朝が相模国鶴岡八幡宮の分霊を勧請した神社で、新田義貞が北条時高追討の際に戦勝を祈願した場所です。

猿田彦大神、琴平大神、八坂大神、浅間大神、水大神が旅の神として祀られており、江戸時代から東照宮へ向かう人々がここで旅の安全を祈願していました。今でも、旅や健康を願う多くの参拝者が立ち寄るそうです。

御宿場印「中田宿」を手に入れた!

社務所受付時間ギリギリでしたが、なんとか中田宿の御宿場印を手に入れることができました!

場所  :鶴ヶ峰八幡宮
受付時間:9:00~17:00

光了寺

鶴ヶ峰八幡宮から200m程進んだ左手に「光了寺」があります。
かつて栗橋宿にあった高柳寺が利根川の改修に伴い移転してきた寺院です。
ここには、静御前が後鳥羽上皇から授かったとされる「蛙蜊龍(あまりりゅう)の舞衣」など、静御前にまつわる遺品が寺宝として保管されています。

続いて右手に本願寺です。

しばらくまっすぐ進むと、住宅が続くだけで、街道の雰囲気は感じられません。

17:30
JR東北本線に突き当たったら、歩道橋のある踏切を渡り、古河市茶屋新田に入ります。

「中田宿」を過ぎて「古河宿」の道中に入ったところで、今回の日光街道4日目4回目はここまでとします。
ついに利根川を越えて、埼玉県から茨城県に入りました。次回は「古河宿」まで歩きます。お楽しみに!

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