日光街道歩き旅!2日目②「草加宿」 

日光街道歩き旅

こんにちは。ぶ~ちゃんです。

日光街道歩き旅1日目5回目です。

前回、埼玉県に入り「草加宿」手前まで進みました。
今回は「草加宿」内を散策します。

草加市は埼玉県の東南部に位置しており、東武伊勢崎線と東京メトロ日比谷線の直通運転などをきっかけに、東京のベッドタウンとして発展しています。
草加宿」の特産品として誕生した「草加せんべい」の街としても有名です。
草加松原」などの歴史感じられる風景や建物も残っており、快適に暮らせそうなバランスの取れた街です。

草加宿」歩きの楽しさをお伝えできればと思います。

日光街道の旅 2日目-2

千住宿 つづき

13:00
ファミレスで少し長めの昼食をとりました。
水分も補給し、体力もかなり回復しました。

「八塚駅入口交差点」の手前に「浅間神社」があります。
富士講(富士信仰)の中心として,近隣から信仰を集めていたようです。
境内も広く、立派な神社です。

社殿の後ろ側に広々とした境内が広がり庭園もあります。

更にその奥には「小御嶽神社(瀬崎の富士塚」があります。

山頂の石祠までの高さは約5m。山体を富士山の溶岩で包んでいるとのこと。
崩れ安くなっているようで、登拝は禁止されています。
日光街道沿いでは富士塚に良く出会うような気がします。「冨士講」が盛んだったのでしょうかね。

富士塚に並んで「天神社」があります。

拝殿に裏に敷地の広がる不思議な感じの神社でした。

浅間神社より500m程歩いた交差点の一角に「火あぶり地蔵尊」があります。
少し不気味さを感じる名前ですね。この場所にはかつて処刑場があったそうです。
名前の由来になっている悲しい物語もあるようです。

ブーちゃん
ブーちゃん

火あぶり地蔵尊の由来

千住掃部宿の孝行娘が瀬崎の大尽の家で奉公してたんだブ。でも、母親の大病を知っても帰れなくて、悩んだ末にその家に放火しちゃったブ。それで火あぶりの刑になったブ。村人たちはその娘を哀れんで地蔵堂を建てて供養したんだブ。

草加煎餅のお店があちこちに見えるようになってきました。
草加宿ももう少しのといころまで来ています。

分岐地点に「今様草加宿」碑が立っています。
この分岐を左側に進んで「草加宿」に入ります。

日本橋から2番目の宿場町「草加宿」

ブーちゃん
ブーちゃん

草加宿
本陣と脇本陣が1軒ずつあって、旅籠屋は67軒あったブ。
日光街道では千住、越ヶ谷、幸手に次ぐ大きさで、交通の要衝として栄えたんだブ。
当時、千住と越谷の間は沼地が多くて迂回して通ってたんだけど、新道が開かれたブ。沼地の造成に沢山の草を使ったから「草加」と呼ばれるようになったんだブ。

最初の交差点に草加市役所があります。その一角に「浅古家の地蔵堂」があります。
浅古家の脇を流れていた堀に流されてきた地蔵を、浅古家先祖が救い祀ったという言い伝えがあるそうです。

草加宿の街道筋です。
道の両側にはビル、マンションが建っていて、車通りもそれなりに多いです。
埼玉六宿まち歩き」パンフレットを見て、楽しみにしてきたのですが風情の感じられない町並みで少し残念でした。

草加駅前通りと交わる交差点付近に「日光街道・葛西道道標」がありました。
葛西道は、江戸時代以前から存在する道で、草加と葛西の間を結んでいました。

右手に「高砂八幡神社」があります。草加七福神の「恵比寿様」です。

藤代家住宅店舗

藤代家住宅店舗」です。
「国登録有形文化財」に指定されています。
草加宿でようや風情を感じる建物に出会えました。

草加宿道標」です。
金具で補強されています。「千住町へ 越谷町へ」と刻まれています。

そのすぐ左手にあるマンション前に「大川本陣跡」石標があります。
享保年間から安永年間まで大川家が本陣を務めていました。

そのすぐ先、右手にも「清水本陣跡」石碑がありました。
安永年間以降は清水家が本陣を務めてい多様です。
草加宿には、本陣が複数あって、持ち回りになっていたようです。

その先の路地にひっそりと佇む神社があります。「氷川神社」です。
草加七福神の「大黒様」がこちらになります。

おせん茶屋」です。
街中の休憩所です。我々も水分補給を兼ねて休憩させて頂きました。
宿場町の雰囲気も味わえる、憩いの場ですね。

おせん茶屋から100m程歩いたところに「東福寺」があります。
遠くから眺めただけです。

ブーちゃん
ブーちゃん

東福寺
草加宿を開宿した大川図書が創建したお寺なんだブ。欄間、山門、鐘楼は市指定文化財になってるブ。さっき本陣碑にも刻まれてたけど、大川家は草加宿の本陣の家でもあるんだブ。。

ここは草加です。
街道沿いにも当然せんべい屋さんが建ち並びます。
草加せんべいの長い歴史があるんですね。

ブーちゃん
ブーちゃん

草加せんべいの歴史

草加は昔から米どころで、農家は余った米を団子状にして乾かし、保存食にしてたんだブ。
江戸時代に草加宿ができると、茶屋や物売りが増えて、保存食だった煎餅も店で売られるようになったブ。最初は塩を練りこんだ生地だったけど、幕末から焼いた煎餅に醤油を塗るようになったんだブ。

久野家住宅店舗

草加宿北端部にある「国登録有形文化財 久野家住宅店舗」です。
「草加宿神明庵」というお休み処を開いていたようですが、近年閉館されてしまったそうです。残念。

宿篠葉神明神社

その少し先に「宿篠葉神明神社」があります。神社の御祭神は、天照大神です。
草加宿の総鎮守として崇められてきた神社です。

御宿場印「草加宿」を手に入れた!

宿篠葉神明神社」の隣に「今様本陣 川の駅そうか村」があります。
こちらで「草加宿御宿場印」を手に入れることができます。

場所  :今様本陣 川の駅そうか村
営業時間:11:00~16:00

そしてまた、そのすぐ隣(足立越谷線の交差点の角)に小さな公園「おせん公園」があります。
この公園には「草加せんべい発祥の地」碑があります。
ここまで来てなんですが、草加せんべいを食べるのを忘れてしまいました(泣)

その隣に「奥の細道 紀行300年」の記念碑があります。

道を挟んだ隣の公園には松尾芭蕉の門人「河合曽良の銅像」がありました。
この辺りで像を見ると全て松尾芭蕉と思ってしまいますね。

ブーちゃん
ブーちゃん

河合曽良

芭蕉庵の近くに住んで、いつも芭蕉の世話をしていたんだブ。
実直な性格で、芭蕉に信頼されていたんだブ。地理学や神学にも詳しくて、旅の事前調査が得意だったんだブ。だからこそ、貴重な旅の資料『曾良旅日記』を残せたんだブね。

「草加宿」が終わりました。沼を埋め立てて道を切り開き、更に、沼の造成にたくさんの草が使用されたことが名前の由来だったというのは驚きでした。
次回は国の名勝にも指定されている 「草加松原」遊歩道を歩いて行きます。お楽しみに。

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