こんにちは。ぶ~ちゃんです。
日光街道歩き旅10日目、日光街道の最終回を迎えます。
前回9日目は「鉢石宿」手間で旅を終えました。
今回「鉢石宿」散策して、いよいよ日光街道のゴール「神橋」までを歩きます。
最初の「甲州街道歩き旅」とは、また違った趣のある道中で、地元の文化や歴史を巡ることができました。到着後は世界遺産「日光三山」に参拝予定です。
日光街道歩き旅の集大成です。いよいよゴールの神橋へ!残り2km弱の超短距離ではありましたが、最後の道程にはどんな景色が広がっていたのか? 旅を終えた今、改めて感じる日光街道の魅力とは?
この旅の締めくくりを、ぜひ一緒に味わってください!
日光街道の旅 10日目
ホテルの窓から朝日に照らされた日光連山が見えました。
最終日の天気は良さそうですね。

歩き旅の前に…
東武日光駅 駅前
8:30
ホテルから東武日光駅が近かったので、歩き旅の前に少しだけ駅前を散策してウォーミングアップをしました。朝の空気は澄んでいてとても気持ちが良いですね。最終日を飾るのにぴったりの爽やかな朝の時間でした。

路面電車
貴重な産業遺産、東武鉄道日光軌道線の運行車両を復元し展示しています。
たくさんバスが巡回しているので、今の時代には必要はないかもしれませんが、復活しても面白そうですけどね。



展示されているのは、昭和28年から昭和43年まで日光駅前と馬返を結んでいた路面電車の1両なんだブ。この電車は、山岳地帯を走る特別な路面電車で、車窓から見える日光の自然がとても美しかったんだブ!新緑や紅葉のシーズンには絶景が広がって、まさに特別な体験ができたんだブ。市民の生活を支える足としてだけじゃなく、観光客を迎える大事な役割も果たしていた歴史の詰まった車両なんだブ!
JR日光駅
東武日光駅から、5分程あるいたところにJR日光駅があります。
この駅舎は、大正元年に建てられたルネサンス様式の建築で、白い外観は「白い貴婦人」と呼ばれるほどです。左右対称のデザインが美しく、「関東の駅百選」にも選ばれている、歴史と魅力が詰まったスポットです。


JR日光駅2階にはホワイトルームと呼ばれる、かつては一等旅客専用の待合室として利用されていた大正ロマンあふれる美しい空間があります。その名の通り、白い壁と漆喰の天井、そして豪華なシャンデリアが織りなす空間は、大正時代の華やかさを物語っています。
窓からは日光の美しい風景を眺めることもできますよ。



本日の出発地点
8:45
昨日の終点、相生交差点「日光杉並木碑」です。
ギネスに載るほどに長かった杉並木も、この一区画で最後になります。ここまで長い間、道案内ありがとうございました。


日光街道最後(21番目)の宿場町「鉢石宿」
杉並木を終えると、先ほどの東武日光駅前に再び出ます。

木戸門跡
駅前の広場の一角には木戸門跡があります。
ここには番所と高札場もあったそうです。


鉢石宿
本陣が2軒、旅籠が19軒あった歴史ある門前町なんだブ。勝道上人が輪王寺とともにこの地を開いたのが始まりで、東照宮の造営に合わせて正保元年(1644年)に日光街道の最後の宿場として設けられたんだブ。名前の由来は「鉢を伏せたような形の石」から来ていて、東照宮参詣の人々で大いに賑わった場所として知られているんだブ!
やはり観光地らしく、駅前や街道沿いにはお土産屋さんがずらりと並んでいます。
なんだか少し空模様が怪しくなってきました。先ほどまでは晴れ間があったのですけどね。

街道に沿って龍の頭部を模したユニークな街路灯が並んでいました。
日光東照宮に多くの龍の彫刻が見られることから、龍は日光を象徴する存在としてデザインに採用されたそうです。龍の頭は歩道と車道の両側を向き、歩行者と自動車の安全を見守るようになっています。さらに、その上に乗った丸い照明具も可愛らしく、街並みにアクセントを加えていました。視覚的にも楽しめる、細部にまでこだわっていますね。
右は夕方点灯した際に撮った写真です。オレンジ色に光って、ドラゴンボールみたいです。


龍蔵寺
少し寄り道です。角に公園のある道を右折して、一本北側の路地を進んで行きます。
裏から撮った龍蔵寺の写真です。(左は後日、日光街道側から撮ったもの)
源頼朝の忠臣である畠山重忠の子、重慶によって創建されました。境内には、戊辰戦争で戦死した芸州藩士の墓があります。


龍蔵寺裏の対面にあるのは稲荷神社です。
境内には「西行戻り石」と呼ばれる石があります。(写真左端にある大石)

虚空蔵尊
稲荷神社から更に西に200mほど進んだ坂道の途中に「虚空蔵尊」があります。
総朱塗り極彩色の社殿は県指定の文化財になっています。境内にある「しだれ桜」は樹齢350年と言われ、日光の桜の名所になっています。



再び日光街道に戻ります。
観光地らしいすっきりとした町並みが広がり、景観が統一されているのが印象的です。建物や看板の色彩が控えめで整えられていて、歩くだけで落ち着いた雰囲気が感じられます。観光客を意識した街づくりが徹底されているのが伝わりますね。
まだ朝早いこともありますが、東照宮に向かって歩く観光客はあまりいません。それともみなさん駅前からバスを利用するんでしょうかね。

御宿場印「鉢石宿」「日光坊中」を手に入れた!
御宿場印を手に入れるために「mekke日光郷土センター」に行きました。
最後は「鉢石宿」の御宿場印で締めるつもりだったのですが、なんとゴール地点を示す「日光坊中」の御宿場印が存在していたのです!気付けて本当に良かったです。
これは坊中(日光三山)エリアで扱って欲しかったですね。



場所 :mekke日光郷土センター
営業時間:9:00~17:00
休業日 :年中無休
趣きを感じるお店が並びます。
写真左にある「綿半」は、練羊羹の老舗で、日光山輪王寺の御用を務めていた歴史あるお店です。寺紋章の「鎹山」を掲げています。

続いて名物の日光湯波の老舗として知られている「ふじや」です。こちらも日光山輪王寺の御用を務めた歴史があり、「鎹山」を掲げている伝統あるお店です。

ゴールに近づくにつれて、坂道が徐々に角度を上げていきます。ゴールがもうすぐだという期待感が高まります。

高野本陣跡
坂道手前の右手には「高野本陣跡」(現さんフィールド)があります。
ここで雪がちらほら降り始めたかと思うと、あっという間に勢いを増していきました。
耐えきれず、先ほどの「mekke日光郷土センター」まで戻って雪が収まるのを待ちます。
そういうクライマックスの演出はそっとで良いんでけどね…。

少し小降りになったタイミングで、先に進みます。「mekke日光郷土センター」さんありがとうございました。
旧日光市庁舎
さんフィールドのはす向かいに目を引く建物がありました。「旧日光市庁舎」です。
国登録有形文化財建造物に指定されています。
建物内への立ち入りはできないようです。残念。

旧庁舎手前には、お手洗いと「日光のおいしい水」が湧いている小屋があります。

その先、歩道の幅が狭まり、急勾配の坂道を進んで行きます。町並みも趣きのある建物が多く立ち並んでいます。日光名物の羊羹屋さんが目に付きますね。


鉢石
羊羹屋さんの駐車場の坂道を下ったところに「鉢石」があります。
細い路地で目立った目印がなかったので、一度通り過ぎてしまいました。
宿場の名前の由来となった「鉢石」。伏せた鉢のような形をした石で、地名の元にもなっています。直径は2mほどで、日光山を開いた勝道上人が托鉢の途中、この石に腰を下ろして日光山を仰ぎ見たという伝承も残っているそうです。


観音寺
その先、左手に「観音寺」の寺標が立っています。

急勾配の坂道を登った先に「観音寺」の山門があります。
弘仁11年(820年)弘法大師空海によって開かれた天台宗のお寺です。
山門右手の石段を登った山上にある観音堂には、千手観音が祀られています。雪がまた強くなってきたこともあり断念。


本堂玄関口の唐破風屋根も立派ですが、本堂前に広がる苔むした庭もとてもきれいです。



お地蔵さんと並んで、お寺の山門で雪が弱まるまで雪宿りです。
空気は冷たく、私たちも凍り付いて地蔵になってしまいそうでした。

坂道の途中に日光山内の案内板です。いよいよゴールは目の前です。


日光物産商会
坂を登り終えた神橋のすぐ手前に「日光物産商会」があります。
明治時代後期から続く歴史ある建物です。伝統工芸品や地元の名産品を販売する物産店、カフェレストラン、パン屋などを併設しており、日光観光の拠点として多くの人々に親しまれています。国の登録有形文化財にも指定されています。



板垣退助銅像 慈眼大師南光坊天海像
戊辰戦争中、日光は旧幕府軍の重要拠点の一つでした。板垣退助は、日光の社寺を戦火から守るために幕府軍へ無血開城を迫り見事に成功します。この功績により日光は戦火を免れ、板垣の功績が称えられ銅像が建てられました。
さすが世界遺産。長い歴史の中には数々のドラマがありますね。

板垣退助像の道を挟んだ向かい側には「慈眼大師南光坊天海像」があります。
徳川家康の側近として、江戸幕府初期の朝廷政策・宗教政策に深く関与した人物です。
日光東照宮の造営にも深く関わり、日光と天海は切っても切れない関係にあります。


慈眼大師南光坊天海
安土桃山時代から江戸時代初期に活躍した僧侶で、徳川家康、秀忠、家光の三代に仕えて幕府の基盤を固めた人物なんだブ。家康の遺言に従い東照宮を創建し、その後の家光による再建で現在の華麗な社殿が完成したんだブ。
「日光中興の祖」と呼ばれ、日光の都市計画や寺院の再建にも尽力したんだブ。さらに、天海=明智光秀説なんて話もあって、とても興味深い人物なんだブ!
この日のゴールまでは2kmと短距離ですが、天候に阻まれたこともありますが、見どころも多く中々前進しません。ゴールは目の前なのですが。
神橋
日光東照宮への入り口に架かる二葉山神橋は、鮮やかな朱色が特徴の木造の橋です。
歴史は古く、奈良時代末期に勝道上人が日光山を開いた際に架けられたと伝えられています。現在は国の重要文化財に指定されています。


神聖な場所として崇められる二荒山神橋は、日光の象徴的な存在で、多くの観光客を惹きつけています。四季折々の美しい姿が楽しめるのも魅力です。新緑や紅葉の季節には、朱色の橋と自然の緑が織りなすコントラストが特に見事なんです。
日光街道のゴール地点として最高の締めくくりとなる場所ですね。


日光街道 終点「日光山内」
10:45
「日光山内」入口。日光街道の終点です!
甲州街道の終点のような明確な碑は無いです。あえていうなら歩道の傍らにひっそりと佇む「日光街道道路元標」がそれにありますかね。我々以外には誰も興味は示していなかったですけどね。(笑)



日光街道、日本橋から140kmに及ぶ歩き旅がついにゴールを迎えました。
甲州街道のような厳しい峠道はなく、比較的歩きやすい道で、膝を痛めることなく無事に完歩できたました。ゴールの瞬間は本当に達成感がありますね。
また次の冒険が待ち遠しくなりました。

日光街道10日目(最終日)まとめ
10日目は「鉢石宿」から終点「日光山内」まで、約2時間、2kmの道のりでした。
超短距離でしたが、雪が降って休憩したり、見どころ豊富で撮影に時間が取られるなど、最終日はかなりゆっくりとしたペースとなりました。日光街道歩き旅も無事完歩です。
みどころ

- 鉢石宿
- 旧日光市庁舎
- 神橋
エリアの特徴

- 最後、ゴール500m手前から急勾配になります。
- 街道沿いには商業施設が多数あります。食事処に困ることはありません。
- 東武日光駅とJR日光駅があります。都合に合わせて使い分けしましょう。
- 駅周辺にはビジネスホテル、ゲストハウス、駅北側にはペンション、コテージ、日光山内付近には旅館が多数あります。
- 冬場は防寒対策をしっかりとしましょう。朝晩は氷点下にもなります。
日光街道歩き旅を経て
甲州街道に続き、2番目の街道旅となった日光街道。江戸の日本橋を出発してから10日間、小さな一歩から始まった旅でしたが、ついにかゴールまで辿り着くことができました。歩き旅は、日常生活では味わえないような感動や達成感を与えてくれました。
「日光街道 夫婦歩き旅」完結!歩き切った今、振り返る旅の思い出
ついに、夫婦で歩いた日光街道の旅が完結しました!江戸日本橋をスタートし、五街道のひとつとして栄えたこの道を辿りながら、日光東照宮を目指した約140kmの歩き旅。長い道のりを一歩一歩踏みしめながら進む中で、本当にたくさんの出会いや発見がありました。
宿場町を越えて雰囲気や歴史を知るごとに、「旅」を楽しめるようになってきました。草加宿では名物の煎餅を味わい、越谷宿では古い町並みを散策。小山宿では城跡を訪れ、宇都宮宿ではやっぱり餃子!
かつての旅人たちもこの景色を見たのかな? なんて想像しながら歩くのも面白かったです。松並木や一里塚、石仏など、江戸時代の面影を感じる場所、現代の街並みの中にひっそり残る旧道や史跡を見つけると、まるで宝探しをしているような気分にもなりました。
徳川将軍や松尾芭蕉の足跡をたどるたびに、当時の時代背景や彼らの思いに思いを馳せました。こうした歴史の痕跡に触れるたびに、ただの道が物語の舞台に変わるような感覚がありました。彼らの足跡を追うことができるのは、この日光街道ならではの特別な体験だったと思います。
そして、この旅で改めて感じたのは、夫婦で一緒に歩くことの楽しさです。もちろん、暑さや寒さで大変な日もあったし、疲れて無言になることもありました。でも、お互いに励まし合いながら歩き続けたからこそ、達成感もひとしお。ゴールの日光東照宮にたどり着いた瞬間の感動を共有できたのは本当にうれしかったです。
甲州街道同様、こうして日光街道を歩き切ったことで、また新たな街道歩きへの意欲も湧いてきました。この経験をブログで発信して、同じように街道歩きを楽しむ人の参考になれば嬉しいです。そして、次の旅へ——また新しい一歩を踏み出していきます!
今日のウォーキング
甲州街道歩き旅10日目(日光街道歩き旅最終日)の記録です。
歩き旅の1日歩数を更新した区間もありましたが、感触的には無理せずにペースを保って歩けた気がします。
甲州街道歩き旅210kmの総歩数は「409,921歩」(歩き旅実施日の総歩数)となりました。
1日平均41,000歩程度歩いたことになります。日光街道も頑張りました。
コメント