こんにちは。ぶ~ちゃんです
甲州街道歩き旅7日目の2回目です。
前回、「勝沼宿」を歩きました。
今回は、「栗原宿」から石和温泉エリアへ入ります。
「勝沼宿」で購入したぶどうを背負って歩を進めます。
江戸日本橋から36番目の宿場町「栗原宿」
上栗原の交差点を過ぎ、栗原宿に入ります。
勝沼宿が終わりましたが、依然として道沿いにはぶどう園が点在します。
![](https://www.nichi2blog.com/wp-content/uploads/2023/11/PXL_20231027_014658347-2-768x1024.jpg)
![ブーちゃん](https://www.nichi2blog.com/wp-content/uploads/2023/04/g876.png)
栗原宿
本陣が1軒、脇本陣が2軒、旅籠が20軒もあって、なんと甲州街道25宿の中で4番目に多かったんだブ。栗原氏の統治のもとで栄え、賑やかな場所として知られる宿場町だったんだブ。
少し歩くと道沿いに「千歳屋」と刻まれた石碑がありました。旅籠屋があった跡でしょうか。
昔はこの辺りが賑わっていた街道筋だったのかもしれません。
![](https://www.nichi2blog.com/wp-content/uploads/2023/11/PXL_20231027_020012078-2-1024x768.jpg)
大戸屋創始者 三森久実氏の生誕の地
石碑の道向かいに立派なお屋敷がありました。
お屋敷を通り過ぎようとする角に案内板がありました。
なんと、グローバルにも展開している外食チェーン「大戸屋」の創始者の「三森 久実」氏の生誕の地でした。
お店の名前は、実父が経営していた観光ぶどう園「大戸屋」が由来のようです。
近代の歴史ですね。
![](https://www.nichi2blog.com/wp-content/uploads/2023/11/PXL_20231027_020045839-2-1024x768.jpg)
![](https://www.nichi2blog.com/wp-content/uploads/2023/11/PXL_20231027_020118264-4-1024x768.jpg)
大翁寺 栗原氏館跡
大戸屋案内板の向かいの路地を入って少し進んだところに「大翁寺」があります。
栗原宿の名前の由来にもなっている栗原氏の館は、このお寺のあたりに建っていたとされています。
![](https://www.nichi2blog.com/wp-content/uploads/2023/11/PXL_20231027_020429710-1-2-1024x768.jpg)
![ブーちゃん](https://www.nichi2blog.com/wp-content/uploads/2023/04/g876.png)
栗原氏館跡
応永年間(1394年〜1428年)に栗原武続によって築かれたと云われるブ。 栗原氏は武田信成の子、武続が東郡栗原郷を領して栗原氏を称したことに始まるブ。
武田信虎によって甲斐国内が統一される過程で栗原氏も武田氏に従って活躍したんだブ。
![](https://www.nichi2blog.com/wp-content/uploads/2023/11/PXL_20231027_021356792-1024x768.jpg)
その先しばらく歩いた、コンビニの向かい、駐在所の隣の敷地に「明治天皇休憩跡」の石碑がありました。少し分かり難いところにあります。文字が駐在所側に向いていますね…
![](https://www.nichi2blog.com/wp-content/uploads/2023/11/PXL_20231027_022432459-768x1024.jpg)
その先、「称名院」の交差点を南側に向かうルートが旧甲州街道になりますが、北側に向かいます。
山梨市駅に向かう道で、交通量がそれなりにあったので歩行には気を付けて下さい。
![](https://www.nichi2blog.com/wp-content/uploads/2023/11/PXL_20231027_023846107-1024x768.jpg)
田安陣屋跡
北に向かって少し歩くと「田安陣屋跡」があります。
この陣屋跡は山梨市の指定史跡となっていて、守護神の水上稲荷社が祀られています。
![](https://www.nichi2blog.com/wp-content/uploads/2023/11/PXL_20231027_023359042-1024x768.jpg)
![ブーちゃん](https://www.nichi2blog.com/wp-content/uploads/2023/04/g876.png)
田安陣屋跡
陣屋っていうのは、江戸幕府の地方行政の中心地で、支配地の代官や旗本の役所・屋敷のことなんだブ。
田安陣屋は1747年から1870年までの間、徳川吉宗の次男である田安宗武が統治していた場所なんだブ。
先ほどの「称名院」の交差点に戻り、今度は南に進みます。
突き当りはには笛吹川の支流「日川」が流れています。
開けた場所からの景色は気持ちが良いですね。富士山は見えませんでしたが…
![](https://www.nichi2blog.com/wp-content/uploads/2023/11/PXL_20231027_024129241-1024x768.jpg)
![](https://www.nichi2blog.com/wp-content/uploads/2023/11/PXL_20231027_024804087-1024x768.jpg)
日川橋を渡ってすぐ、日川沿いに沿った西側の道を進みます。
民家が点在し、交通量の少ない、穏やかな道です。
しばらく歩くと、本流笛吹川沿いの道に変わり、また交通量のある国道411号と合流し、川沿いを進むと、笛吹川に架かる大橋「笛吹橋」があります。
![](https://www.nichi2blog.com/wp-content/uploads/2023/11/PXL_20231027_030937749-1024x768.jpg)
![](https://www.nichi2blog.com/wp-content/uploads/2023/11/PXL_20231027_032156318-1024x768.jpg)
笛吹橋からの眺めも絶景です。甲府盆地の全景が見渡せてしまいそうです。
![](https://www.nichi2blog.com/wp-content/uploads/2023/11/PXL_20231027_032243742-1024x768.jpg)
![](https://www.nichi2blog.com/wp-content/uploads/2023/11/PXL_20231027_032246401-1024x768.jpg)
石和温泉エリア
笛吹橋を渡って、石和温泉エリアに入ります。
石和温泉の泉質はアルカリ性単純温泉です。
「神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、運動麻痺、関節のこわばり、打ち身、くじき、慢性消化器病、痔疾」に効果があるようです。
せっかくの温泉地でゆっくりと浸かっていきたいですけど、我々には使命があるので心を鬼にして先に進むことにします。
![ブーちゃん](https://www.nichi2blog.com/wp-content/uploads/2023/04/g876.png)
石和温泉の歴史
温泉地の歴史はまだまだ新しいんだブ。石和温泉は1956年に初めて湧き出たんだブ。井戸を掘ったら源泉がポンと湧いてきたのが始まりなんだブ。
それから急に人気の温泉地になって、全盛期では熱海に次ぐ大きな温泉街にもなったんだブ。おおっ、湯けむりと歴史の出会いって面白いブー!
笛吹川沿いの松並木が旧甲州街道になります。
![](https://www.nichi2blog.com/wp-content/uploads/2023/11/PXL_20231027_033232547-1024x768.jpg)
松並木の外れ、石和駅方面に向かう分岐に「笛吹権三郎之像」があります。
笛吹川の名前の由来にもなっている伝説があります。
![](https://www.nichi2blog.com/wp-content/uploads/2023/11/PXL_20231027_033646598-1024x768.jpg)
![ブーちゃん](https://www.nichi2blog.com/wp-content/uploads/2023/04/g876.png)
笛吹権三郎之像
山奥で母と楽しく過ごしていたんだブ。笛の名手としても有名で、ある秋の日、雨が長く続いて川が増水してしまって、小屋が流されちゃったんだブ。そしたら、母がどこかに行方知れずになっちゃって、権三郎はがんばって母を探したんだけど見つからなくて、結局疲れ果てて川に落ちてしまったブ。
それから、川から美しい笛の音が聞こえるようになったんだブ。だから、みんなはこの川を「笛吹川」と呼ぶようになったんだブ。権三郎の優しい笛の音、母にも届いているといいブー!
「石和宿」方面に向かう分岐に差し掛かりました。
勝沼で手に入れたぶどうは、腰にぶら下がったまま、まだまだ残っています。時間と共にじわじわ蝕まれていく体力。
次回は次なる宿場町「石和宿」に入ります。「石和宿御宿場印」入手でハプニング発生!お楽しみに。
コメント