こんにちは。ぶ~ちゃんです。
甲州街道歩き旅3日目の3回目です。
前回は、甲州街道最大の難所「笹子峠」を越え、「駒飼宿」を過ぎました。
今回は「鶴瀬宿」を経て「勝沼宿」と進みます。
峠でバテていたとは思えない妻の予想外の元気さに押され、引き続き粛々と歩みを進めていきます。
下山後の区間も食事処やコンビニは全く現れず、厳しい状況が続きます。
欲しいものが手に入らないまま進むのは、思いのほか辛い体験となり、体力と忍耐力を試される区間となりました。
それでは6日目3回目、「勝沼宿」までの旅を紹介したいと思います。
甲州街道の旅 6日目-3
鶴瀬宿への道中
13:45
駒飼宿を過ぎて、甲斐大和駅から帰宅を計画していましたが、鶴瀬宿に進むことになりました。
ここから先しばらく、飲食店もコンビニもありませんでした。
武田勝頼の腰掛石も付近にあったようですが、通り過ぎてしまったようです。
江戸日本橋から34番目の宿場町「鶴瀬宿」
まっすぐ進み「日川」を渡り終えると左手に「金岡自画地蔵尊碑」があります。
その向かいに側に「鶴瀬関所跡」があります。
道を挟んで向かい側には「鶴瀬宿」の案内板と石碑があります。
鶴瀬宿
本陣が1軒、脇本陣が2軒、旅籠が4軒の小さな宿場だったんだブ。ここには番所があって「入り鉄砲に出女」を特に厳しく取り締まったんだってブ。
常夜灯は高遠石工により建てられたもののようです。立派です。
すぐに車道に戻りまっすぐ進みます。
車の通りはそれなりにあるのですが、コンビニなどのお店は皆無です。
少し歩くと「古跡血洗澤」という少し不気味な名前の標柱が目に入りました。どんな由来があるのか気になりますね。
標柱の横には次のように説明が書かれていました。「この地は、土屋惣蔵が逃亡した跡部大炊介を追い詰めて斬り、この沢で血を洗い流したと伝えられています。」
武田氏の歴史に詳しくない私にとってはなんのことやらさっぱりです。
更にそのまま道にそってまっすぐ進みます。
段上に標柱がありました。今度は「鞍懸」と記載があります。
その横には「この地は、逃亡する長坂長閑(ながさかちょうかん)が土屋惣蔵に追われ、落とした鞍が路傍の桜の木にかかっていた場所と言われています。」という説明がありました。
先ほどの「血洗澤」の標柱と同様に、詳細な背景が分からないと、なぜこの地が重要なのかピンときません。ただ、これも武田氏の歴史にまつわるエピソードなのでしょう。
長坂長閑
信玄と勝頼、二代にわたって仕えていて、特に勝頼にはめちゃくちゃ寵愛されたブ。信玄の代では足軽大将に任命され、その後侍大将に昇進したブ。武田家の滅亡に関する軍記物、『甲乱記』によると、長坂光堅は織田側に降伏して処刑されたんだブ。
その先にトンネルがあります。
もう少しトンネルに近づくと、右手に怪しげな上り坂が現れます。この坂を進んで行くことになります。
なお、当初トンネル内に歩道はないと思っていたのですが、後で写真を整理していて気づいたことがあります。実はトンネルの左側に歩道がありました。もっとよく確認しておけばよかったですね。
笹子峠を越えた後、再び急勾配の山道に挑むことになりました。途中、倒木が道を塞いでいる箇所もあり、なかなか厳しい道のりでしたが、なんとか登り切ることができました。
14:15
坂の上です。聖観音堂がありました。京都清水より勧請したものとのこと。
何とか登り終え、先に進もうとしたものの、下る道が見当たりません。仕方なく支柱のある突端まで進んでみると、道らしき跡がかすかに見えました。しかし、それは道と言えるかどうか微妙なもの。実際には道なき道で、目の前には崖が広がっています。
もし足を踏み外したら、崖下まで一直線です。これこそが甲州街道最大の難所だったのではないかと思わざるを得ません。参勤交代の際には、さすがにここを通らず別の道を使っていたのではないでしょうか。
先ほどまで元気だった妻も、この崖を昇り降りしてすっかり体力を消耗してしまったようです。このルートは少し危険なので、無理をせず安全な方法を選ぶことも大切だと思います。
登る手前のトンネルを抜けて迂回するルートも検討に入れておきましょう。旅の安全を第一に考えながら進むことが重要です。
道を下って、新道をくぐると左手に「古跡武田不動尊」の標柱と、「石灯篭」があります。
傍にある階段を下っていくと祠があるようです。
そこからは、道なりにまっすぐ進みます。しばらく平坦な道が続き、周囲は静かな雰囲気に包まれていました。車とすれ違うこともなく、交通量の少ない穏やかな道を歩くことができます。
途中に「旧甲州街道」の標柱がありました。側面には
「甲州道中鶴瀬宿と勝沼宿を結ぶこの横吹の古道は、当時の面影を今に伝えています。」と記載があります。
確かに、この道はどこかノスタルジックな雰囲気が漂い、歩いているだけで心が落ち着くような気持ちになります。この辺りから、少しずつ緩やかな上り坂へと変わっていきます。
緑に囲まれた自然溢れる風景は本当に気持ちが良いです。
歩道のある方に横断して進んでしまったため、「横吹一里塚」を見逃してしまいました。
左側を歩いていれば、ガードレールの間から一里塚跡へ降りられる道があったようです。
一里塚跡を通り過ぎていたことに気づかず、最初はこれを一里塚だと勘違いしてしまいました。しかし、よく見るとこれは甲州鞍馬石を使用したモニュメントだったようです。一里塚ではなかったことは少し悔しかったですが、こうしたモニュメントにも地域の歴史や文化が詰まっているんですね。
柏尾古戦場
14:45
200mほど進むと、「近藤勇 柏尾古戦場」と書かれた標柱が目に入りました。その近くには「柏尾橋」の案内板も設置されています。
柏尾古戦場
戊辰戦争時に勝沼で起きた戦闘の舞台なんだブ。そこで新選組と会津藩兵からなる甲陽鎮撫隊が、因幡藩、土佐藩、高遠藩からなる官軍とバトったんだブ。深沢入口交差点の脇には、近藤勇の像がたっていてその歴史的な意義を伝えているんだブ!
国宝 大善寺
その先「国宝 大善寺」があります。
「国宝」ということで是非立ち寄ってみたかったのですが、陽も傾き始めてきていたのでそのまま進むことにしました。また別の機会に立ち寄ってみたいです。
大善寺
本堂は国宝指定されているブよ。建てられたのは1286年で、なんと山梨県で最も古い木造建築物なんだブ。本堂の中には秘仏の薬師如来像が鎮座していて、その姿はぶどうを手にしているんだブ。甲州ぶどうの発祥伝説にちなんで「ぶどう薬師」って呼ばれているし、ここは甲州ぶどう発祥の地として有名で「ぶどう寺」っても呼ばれているんだブ!
大善寺を過ぎたあたりから、周囲にぶどう園の景色が広がり始めました。
右手の坂を登っていくと「勝沼ぶどう郷駅」へのショートカットになるようですが、かなりの急坂。登るのは一苦労しそうです。
国道沿いを進んでいきますが、陽射しを遮るものがほとんどないので、夏場の歩き旅は厳しそうですね。
柏尾の交差点です。右側の道に進みます。(勝沼バイパス方面ではありません。)
江戸日本橋から35番目の宿場町「勝沼宿」
15:00
ここから先は、勝沼宿に入ります。風情を感じさせる家々が建ち並び、歴史の趣が漂っています。ぶどう園の数も増えてきます。
勝沼宿
本陣が1軒、脇本陣が1軒、旅籠が23軒もある大規模な宿場だったんだブ。武田信虎の勝沼信友が領主として館を構え、城下町として発展したんだってブ。
階段を登った先に平和の塔があります。
凄いボリューム感ですね。
道を渡ると「上行寺」の参道口に標柱が並びます。
上行寺の対面には「勝沼氏館跡」駐車場があります。
門の横の案内板は勝沼氏館跡の説明ではなく「勝沼宿」の案内板でした。
駐車場の奥に石碑がありましたが、文字の視認性が悪くて何が書いてあるのか判別できませんでした。
ここが勝沼氏館跡だと思っていたのですが、別のところに整備されている場所があるようです。
勝沼宿脇本陣跡
その少し先には「勝沼宿脇本陣跡」があります。石の並びが立派ですね。
この辺りが勝沼宿の中心だったのでしょう。
勝沼宿脇本陣跡
少し進むと今度は「勝沼本陣跡」があります。
「槍掛けの松」と呼ばれる、宿泊した大名の家臣達が槍を掛けたと云われる老松が一本立っています。
本陣の敷地を過ぎた路地に「小佐手小路」の案内板がありました。
勝沼氏館跡から北に延びる道で、中世勝沼氏舘時代の名残がある古道です。
少し歩き疲れてきたところに追い打ちをかけるように、持参した水筒のお茶もとうとう空っぽに…。どれだけ進んでも軽食屋やコンビニが見当たらず、喉の渇きが限界に近づいていました。
そんなとき「古寿園」の敷地内に自動販売機を発見!迷わず命の飲み物を購入し、その場で一気に飲み干しました。本当に助かりました。まさに救世主!ありがとうございました!
本日の歩き旅終 ~ 最寄駅まで
15:15
体力も尽きかけ、ここで甲州街道の旅を切り上げて帰路に着くことにしました。
最寄り駅は「勝沼ぶどう郷」駅。ここから約2kmの道のりです。
駅までの道は、なだらかな坂道が延々と続きます。一見穏やかに見えるこの坂ですが、歩くたびにじわじわと体力を削られていきます。左手に広がる広大なぶどう畑を眺めながら一歩一歩足を前に進めます。
15:45
しばらく歩いていると、突然「シャトー勝沼」が現れました。
「地獄に仏」というのは少し大げさかもしれませんが、この駅でつかの間の休憩を取ることができ、ほっと一息つけました。
シャトー勝沼
創業140年、勝沼を代表するワインの産地・鳥居平に位置していて、栽培、醸造、販売まで一貫したこだわりを守り続ける歴史と伝統のあるワイナリーだブ。
ワインの試飲が振舞われる直売店、直営のレストランがあるんだブ。ワイナリーの見学も行っているブ。
電車の時間を確認してみると、急げば何とか次の電車に間に合いそうなタイミング。しかし、もし逃してしまうと次の電車は1時間後!疲れたなどと言っている場合ではありません。
それにしても甲府盆地とぶどう畑。なんとも雄大な景色です。どんな状態でも、絶景には見とれてしまいます。
16:15
駅まで続く坂をなんとか登り切り、汗だくになりながら「勝沼ぶどう郷駅」に辿り着きました。電車が来る前に到着できてひと安心です。
この季節、駅前には同じように電車を待つハイカーたちの姿がたくさん見られました。
これで甲州街道歩き旅6日目の旅路は終了です!峠を越えて、多くの歴史や自然、風景に触れることができました。お疲れ様でした!次の旅もお楽しみに。
甲州街道6日目 まとめ
6日目は黒野田宿から勝沼宿、7時間30分、22kmの道のりでした。
今回は、甲州街道最大の難所「笹子峠」越えがありました。
峠の印象が強かったせいか(勝沼ぶどう駅までの坂道以外は)比較的平坦な道が続いていたという感触です。
笹子峠の標高は1000m程度。笹子駅も600m程度あるので高低差は約400m。
笹子からの登りは道がある程度整備されていたので、それなりの疲労は感じたものの意外とスムーズに登れました。下りは人影もなく道を探しながら、少しずつ進んでいく状況。スマホで通信もできない箇所もあったので、不安を感じました。
峠を越えてから瞬間的なインパクトが大きかったのは、聖観音堂への山登りです。
短距離ではありましたが、かなり危険なので注意して進むようにしてください。
みどころ
- 矢立の杉、笹子隧道(笹子峠)
- 武田勝頼関連史跡
- 柏尾古戦場跡
- 国宝 大善寺 薬師堂
- 勝沼ぶどう畑
エリアの特徴
- 甲州街道最大の難所 笹子峠がある。
- 聖観音堂を通過するルート(トンネル越え)は危険。
- 食事処・コンビニはほとんどない。食料と飲み物はしっかり準備する。
笹子峠はある程度整備がされている参道ではありますが、どんな山でも侮ってはいけません。万全な体勢で臨んで下さい。(装備、体調、天候等)
食料調達の難所でもあります。
今回のルート上にはコンビニは1件もありませんでした。食事処もほとんど見かけませんでした。
休憩や食料の調達、食事を摂るのであれば、ルートを外れて「甲斐大和駅」周辺に立ち寄るのも選択肢の一つだと思います。
今日のウォーキング
6日目の記録です。峠越えもあったので、段数224階を数えています。険しい山登りの後にしては距離もそれなりに稼ぎました。甲州街道最大の難所「笹子峠」恐るべし!
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