甲州街道歩き旅!6日目②「駒飼宿」

甲州街道歩き旅

こんにちは。ぶ~ちゃんです。

甲州街道の歩き旅6日目の2回目です。
今回は「笹子峠」を下り「駒飼宿」に進みます。

笹子峠を登り終わり、無事折り返し地点まで辿り着きました。
下りは、登りと比べかなり険しく長い道のりでした。
駒飼宿」には、風情ある景色が広がっていましたよ。

甲州街道の旅 6日目-2

笹子峠下り

11:30
「笹子峠天神社」に別れを告げ、甲斐大和方面へ下山します。
ここまで登りは順調でしたが、下りは膝への負担が気になります。

道なりに少し歩くと、「笹子隧道隧道」を抜けた先の車道に出ます。

先程はトンネルの奥の光の差す場所からこちら側に向かって撮影しました。
入口にある案内板は「大月市」?トンネルのこちら側は「甲州市」のはずなんですが…

車道に沿って進むとすぐ左手に甲州街道の案内板がありました。
舗装された車道を進みたいですが、旧甲州街道は「ガードレールの切れ目から下りなさい」と言われています…

人気のない森の中を進んでいきます。
先に言ってしまうと、ここから下山するまで人とすれ違うことはありませんでした。
熊ベルはしっかり鳴らして、熊に自分の存在を知らせましょう!

同じような景色が続きますが、しばらくすると車道が見えてきます。

車道との境界に「甘酒茶屋跡」の支柱が立っています。
昔は茶屋があったんですね。今もあって欲しかった(泣)

ここから車道側を進むのかと思いきや、ガードレールの外側に甲州街道が続いています。
かなり細いです。
そして左は崖です。踏み外したら一気に谷底。足元には十分気を付けて進みましょう。
車道を進んでいくのも一つの手段です。無理せず進みましょう。

またしばらく下っていくと、少し整備された道に出ますが、甲州街道の案内板は右下に下る道をさしています。「荒地を進め」と言われています。

道を下っていくと右手に建設中の防砂ダム(?)が見えてきます。堀に沿って進みます。

だんだんと倒木が多くなってきます。跨いだり、くぐったり、天然のアスレチックです。
道が荒れて分かり難いところもあるので、案内表示は非常に助かります。

ここから道がどんどん険しくなってきます。

突然目の前に現れた崖。荒れすぎて進むべき道を見失います。
道を探して歩くのがやっとです。とても不安になります。

更にはスマホの電波が繋がらないエリアです。
GPSは使えるので、事前に地図をダウンロードする等して備えておきましょう。

はっきりと認識できる道が見えるてホッとしました。アドベンチャーですね。
真鍮製の熊ベルの音色だけが、遠くまで響き渡ります。

木の架け橋です。渡っている途中で破損しませんように。
一人ずつ渡って先に進みます。

馬頭観音菩薩の標柱が倒れていました。
周囲に馬頭観音を探しましたが、それらしきものが見当たりませんでした。

この辺からは案内板もあり、道もしっかり認識できます。一安心です。

12:30
やっとの思いで、車道と合流します。
時間にするとあっという間でしたが、非常に長い時間彷徨っていたような気がします。
岩の間をかいくぐって、足場を探しながら道なき道を下り進んできたこともあり、膝が少し痛みました。

ここからは麓まで車道を歩くことになります。
険しかった山道からの解放感からか、麓までの道の途中にある「桃の木茶屋跡」の標柱を完全に見逃してしまいました。(泣)

そのまま車道を1.5kmほど歩くと民家の屋根が見えてきます。ホッとします。

笹子沢側を渡る橋の手前に「津島大明神の祠」があります。

駒飼の一里塚」を求めて

橋を渡った右手には、また獣害防止フェンスがあります。
峠の入口にあったフェンスでも思いましたが、バイオハザードを思い出しました。
フェンスの先を想像すると嫌な感じしか覚えません。
でもこの先に「駒飼の一里塚」があるんです。頑張って進んでみました!再入山です!!

ここからフェンスの先の道です。伝わるでしょうか…道が険しいです。
岩や倒木で行く手を阻まれたり、湧水で道がぬかるんでいたりします。
ほとんどここを通る人はいないんでしょうね。

一里塚までおそらくあと一歩のところまで進んでいたとは思うのですが、安全を考えて途中でリタイヤ。引き返すことにしました(泣)

13:15
笹子峠越えでかかった時間は約3時間半。

かなりゆっくりなペースだったと思いますが、想像していた以上に早く辿り着けました。
自然に囲まれて気持ち良かったのですが、人気が無さ過ぎて険しく不安にもなりました。
体感時間はかなり長く感じました。

これで甲州街道の最大の難所「笹子峠」攻略ですっ!!

江戸日本橋から33番目の宿場町「駒飼宿」

さて、フェンスを出てまっすぐ進むと「駒飼宿」に入ります。
すぐ右手に「芭蕉句碑」が立っています。

「秣負う 人を栞の 夏野哉」

と刻まれています。

更に進むと民家が見えてきます。人が生活しているという雰囲気に、不思議な安心感がありました。

道の左手、建物の無い敷地に「駒飼脇本陣跡」の標柱が立っています。

その少し先には「明治天皇御小休所址」と「駒飼本陣跡」の標柱が立っています。

本陣跡隣に「駒飼宿」の案内板があります。昔の屋号が記載されています。

ブーちゃん
ブーちゃん

駒飼宿
本陣が1軒、脇本陣が2軒、旅籠が6軒あったんだブ。次の鶴瀬宿とは合宿なんだブ。
住んでいる人たちは今でもお互いを屋号で呼び合って、当時の名残を大切にしているブ。

当時の面影を残す町並みが残っていますね。

駒飼宿から坂を下って橋を渡ります。

石垣に「寿司屋」と彫り込まれている民家があります。
先ほどの案内板に書かれていた昔の屋号ですね。「駒飼宿」「甲州街道」の文字も刻まれています。

中央道の下をくぐり抜けていきます。

13:30
地蔵尊を過ぎ、坂道を下っていくと新道と合流します。
やっと山を下り切ったといった感覚です。

笹子峠越えでの疲労を考えて、ここで右折し「甲斐大和」駅から帰宅することを計画していましたが、予想外に到着時間が早かったことと、妻が元気いっぱいで進む気満々だったこともあり、信号を左折して旅を継続することにしました。
お昼に山の上でダウンしていた人とは思えません…

今回の報告はここまでとします。
続きはまた次回に報告します。お楽しみに。

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