こんにちは。ぶ~ちゃんです。
甲州街道歩き旅5日目の2回目です。
前回は「鳥沢宿」を出発して「大月宿」に到着。昼食を摂りました。
今回は「下花咲宿」「上花咲宿」「下初狩宿」と進みます。
この区間は、自然を感じながら気持ちよく歩ける区域でした。
道中、当時の面影を感じるものはほとんど残っていませんでしたが、「下花咲」には甲州街道沿いに現存する本陣の一つ「下花咲本陣」があります。
ここから笹子駅まで約12kmです。自然溢れる道中を感じてみて下さい。
甲州街道の旅 5日目-2
大月宿 つづき
12:30
大月二丁目交差点から20号を西に向かって進みます。
大月宿脇本陣跡
200メートルほど歩くと「大月宿脇本陣跡」に到着します。ここにはひっそりと「明治天皇御召換所址碑」が立っています。往時の面影はありませんね。
脇本陣前の道(512号)が旧甲州街道になりますが、その道なりに少し進むと「大月追分」に立ち寄るために少し寄り道します。
大月追分
大月宿西端にあたる「大月橋東詰」交差点の一角に「富士山道追分道標」があります。
津島牛頭天王社、常夜灯、馬頭観音等が立ち並びます。
視界に「大月橋」が見えてきますが、先ほどの脇本陣跡まで引き返し、旧甲州街道を辿ります。
中央線の陸橋を渡り切ったら、交差点で左折します。その後、線路沿いを進み、「新大月橋」を渡ります。
「新大月橋」からの景色です。先ほど渡らなかった「大月橋」が見えます。
小仏峠を越えてから、しばらく山間を歩いてきていますが、改めて自然が多くて気持ちの良い景色です。
そのまま進み、再び国道号20と合流します。
江戸日本橋から26番目の宿場町「下花咲宿」
江戸日本橋から二十四里目「花咲一里塚」
13:00
20号と合流して200mほど進むと「下花咲一里塚」が見えてきます。
この辺りが「下花咲宿」の入口だったようです。
ここには沢山の石碑が並べられていました。
その一つである芭蕉句碑には「しばらくは 花の上なる 月夜哉」と刻まれています。
肝心の一里塚はベンチの後ろに隠れていました。案内板も植え込みの中にあって、一度気づかずに通り過ぎてしまったほどです。ここが24里目の地点です。
またしばらく道なりに進みます。この辺りが花咲宿の街道筋でしょうか。
下花咲宿
本陣1、脇本陣2、旅籠22軒の中規模な宿場町だったブ。
下花咲と上花咲で一つの宿を形成していて、上花咲宿が上半月を、下花咲宿が下半月を担当していたんだブ。
国指定重要文化財 下花咲本陣(星野家住宅)
そして、ファミリーレストランの隣に「下花咲本陣(星野家住宅)」があります。この場所は、江戸時代には名主や問屋として機能しており、明治天皇が甲州巡幸の際にもここで休憩された歴史あるスポットです。建物はとても綺麗に保存されており、当時の雰囲気を感じることができますよ。
下花咲本陣跡
甲州街道に残る数少ない本陣建築の遺構で、なんと国指定の重要文化財に指定されているんだブ。庄屋、問屋を営んでいたんだブ。立派な風格を持った建物で、当時の宿場町の繁栄ぶりを今に伝えているんだブ。
下花咲本陣を後にし、道なりにまっすぐ進みます。
江戸日本橋から27番目の宿場町「上花咲宿」
13:15
大月インターを過ぎて、少し歩くと笹子川に架かる「西芳寺橋」があります。
この辺りから「上花咲宿」です。
当時の面影を感じるものはほとんど残っていないようです。バス停の名前は「上花咲」となっていますね。
上花咲宿
本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠13軒の宿場だったんだブ。そして、下花咲宿と一緒に合宿を形成していたんだブ。当時の面影はほとんど残っていないんだブ。
まっすぐ進んで中央道の高架をくぐります。
「尾曽後峠」標識があります。歴史ある峠で鎌倉街道の入り口でもあるらしいです。
三軒屋信号を左に曲がった先には、かつて甲州街道が続いていたそうですが、現在は線路までで行き止まりとなっています。
この場所では道をまっすぐ進み、中央本線沿いを歩くことになります。昔の街道が残る景色を想像しながら、現代の交通インフラと共に進んで行きます。
北側の山沿いに目を引く、とても個性的なデザインの建物を発見しました。「NECプラットフォームズ」の施設のようです。山の自然と建物のデザインが対照的で、不思議な存在感を放っていますね。
大月警察署を通り過ぎしばらく道なりに進みます。
真木橋からの景色はとても爽やかです。川が流れる場所では視界が開けていて疲れた体を少し癒してくれますね。
真木歩道橋に到着しました。この歩道橋の手前で左折します。
歩道橋の右手にたっている立派な石碑は「親鸞聖人旧跡太布名号」碑です。
歩道橋を左折し、まっすぐ道を進むと、また20号と合流します。
川を渡り、カーブの途中に見えてくるのが「いなだや」です。
昭和38年に創業した老舗で、地元の人々に愛され続けているお店のようです。この辺りは食事処が少ないため、旅の途中で立ち寄るスポットとして、プランに加えるのも良いかもしれませんね。
その先、狭い歩道を注意深く進みながら、笹子川に架かる「源氏橋」を渡ります。
ここでも心地よい風景が広がります。
橋を渡り終えてすぐに右折し、線路沿いの砂利道を歩きます。
周囲は静かで、時折列車の音が響く中ゆっくりと進んでいきます。
砕石工場の脇道を抜け、踏切を渡ります。道が合っているのか不安でしたが繋がっていました。
江戸日本橋から29番目の宿場町「下初狩宿」
14:15
踏切を渡り終えると、「下初狩宿」の案内板と「聖護院道興歌碑」が目に入ります。
ここが下初狩宿の入口のようです。
20号との合流地点には「100.1km」の標識が立っていました。とうとう甲州街道100km越えです。
下初狩宿の街道筋です。
下初狩宿
本陣2軒、脇本陣2軒、旅籠12軒と、結構大きな宿場町だったんだブ。下初狩宿と中初狩宿の2つは合宿で、半月交替でその役割を果たしていたんだブ。
下初狩本陣跡
右手には下初狩本陣跡が広がり、その敷地内には「山本周五郎生誕之地」の碑が立っています。
山本周五郎
小説家。1926年に「須磨寺附近」を発表して文壇にデビューしたんだブ。時代小説、歴史小説を数多く発表し、特に晩年は「樅ノ木は残った」「赤ひげ診療譚」「青べか物語」などの傑作を残したんだブ。
江戸時代の庶民の生活をリアルに描いた作品が多く、人間の業や生きることの意味を深く追求しているんだブ。彼の文体は平易でわかりやすく、広い読者層から愛されているんだブ。彼の作品は映画やテレビドラマ、舞台にもたくさん翻案されているんだブ。
道なりにまっすぐ進んで行き、初狩駅を通り過ぎていきます。
宮川に到着しました。ここからは山間に富士山の頂がわずかに見える「宮川橋の一目富士」として知られていますが、今日は残念ながら雲に覆われていて、その姿を望むことはできませんでした。残念。
旧今井医院
国の登録有形文化財に指定されている「旧今井医院」です。大正時代に建てられたこの木造2階建ての建築物です。
旧今井医院
大正時代に建てられた木造2階建ての建物。1992年に国の登録有形文化財に登録されたブ。外壁はモルタルで塗られていますが、コンクリート造に似た仕上げとなっていて、柱形や窓上の部分等には目地を入れて石造風に見せているのだブ。コーニスを模して軒に廻した幾何学的な連続装飾も、時代の特徴をよく示しているブ。
道を進んで歩道橋を越えると、そこに芭蕉句碑が立っています。
碑には「山賤の おとがいとづる 葎(むぐら)かな」と刻まれています。
中初狩宿に差し掛かったところで5日目の2回目の報告はここまでとします。
続きはまた次回に報告します。お楽しみに。
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