こんにちは。ぶ~ちゃんです。
甲州街道の旅2日目の2回目です。
前回は「府中宿」から「立川」まで約7kmを歩きました。
今回「立川」から多摩川を渡って「日野宿」を散策します。
日野市は「新選組のふるさと」と呼ばれ、副長、土方歳三と六番隊組長、井上源三郎の出身地です。
彼らは日野で剣術を修行し、特に日野宿本陣や義兄である佐藤彦五郎の道場で腕を磨きました。日野市には土方歳三資料館や井上源三郎資料館など、新選組に関連する資料館もあり、新選組の歴史を感じることができる魅力的な地域です。
甲州街道を歩きながら、新選組の歴史をたどるのも楽しみの一つです。
甲州街道の旅 2日目-2
日野宿への道中
12:30
お昼休憩でお腹も満たされ、再び甲州街道の旅に戻ります。
この辺りでは旧甲州街道の道筋が分かりにくいので、案内板を見逃さないように注意してください。
大きな体育館の隣にある根川緑道には、綺麗な小川が流れています。
この小川は、もともと立川段丘の崖線から湧き出る水を集めたものだったようです。綺麗な水です。
日野の渡し場跡
新奥多摩街道を横切って多摩川の方向へ進むと、「日野の渡し場跡」にたどり着きます。
かつて幕府は江戸を外敵から守るため、多摩川に橋を架けず、渡し船で川を渡る方式を採用していました。しかし、日野橋の完成に伴い、この渡しは廃止されました。
多摩川の土手に出ると、モノレールが走る「立日橋」が目に入ります。この橋梁は立川市と日野市を結ぶもので、橋の手前が立川市、川を挟んだ奥側が日野市になります。
モノレールの橋梁と景色が一体となって、独特な風景が広がっていますね。
橋の途中で見えた富士山(街灯の右側)です。河川敷ならではの開けた景色が広がり、富士山がすっきりと見えました。これからもっと富士山が近くに見える場所まで歩いていくと思うと、期待が高まりますね。雄大な山の姿を間近に感じられる瞬間が待ち遠しいです。
江戸日本橋から10番目の宿場町「日野宿」
13:00
橋を渡り終えて日野市に入ります。
左側の土手を少し進むと、「日野渡船場跡」の案内板が見つかりました。
残念ながらその形跡が残っていないようです。当時の情景を思い浮かべながら、歴史の名残を感じることができる場所ではありますが、やはり時間の経過を実感しますね。
日野市はやはり「新選組」推しですね。幕末ファンには欠かせない場所であり、新選組の歴史が色濃く残る地域です。
日野宿
本陣と脇本陣がそれぞれ1軒、旅籠も20軒程度だったんだブ。
西には道中で一番大きな宿場の横山宿(八王子)、東には2番目にでっかい府中宿があって、ほかの宿場に比べて旅籠や本陣の数はそんなに多くなかったんだブ。
日野の街には歴史に関する案内板が至る所に掲示されています。これらの案内板を見ながら歩くことで、地域の歴史を深く理解することができますね。
「旧日野銀行(有山家店蔵)」です。重厚な外観の建物で歴史を感じます。内覧はできません。
高幡不動道標です。この道標が示す通りをまっすぐ30分ほど歩くと、「高幡不動尊」に到着します。
高幡不動尊
なんと約1,100年以上もの長い歴史を持っていて、千葉県の成田山新勝寺とともに関東三大不動って呼ばれてるんだブ。2万点近くもの大事な文化財が収蔵されてるブ。丈六不動三尊や室町時代の仁王門なんかは、重要文化財に指定されてるブ。
それから、新選組の土方歳三の菩提寺なんだブ。境内には歳三の銅像や、近藤勇・土方歳三の功績を称える石碑もあるブ。
日野宿本陣跡
13:30
都内に現存する唯一の本陣「日野宿本陣跡」です。
この本陣は、貴重な文化遺産であり、歴史的な価値が非常に高い場所です。また、この敷地にはかつて「佐藤道場」があり、そこで近藤勇や副長の土方歳三、沖田総司、井上源三郎たちが稽古を重ねていたとされています。
立派な門構えが印象的ですが、この日は残念ながら休館日でした。次回はぜひ内部も見学したいと思いますので、また改めて訪れるつもりです。
日野八坂神社
日野駅方面に進むと「日野八坂神社」があります。この神社には、天然理心流の奉納額が掲げられており、新選組との関連性を感じさせてくれます。
13:45
日野駅前には、2019年に土方歳三の没後150年を記念して作成されたデザインマンホールがあります。地域の新選組や土方歳三への深い愛が伝わってきます。
「宝泉寺」には「井上源三郎」の墓があります。
坂道を上がった先に位置する「坂下地蔵堂」です。ここは日野宿の西口だったと言われています。
2日目の2回目はここまでで終わります。
日野宿は「新選組」との深い縁があり、その歴史が色濃く残る地域でした
ここまでで、2日目に予定している行程の約半分です。目標到着地の高尾まであと12km。
次回、次なる宿場町「八王子宿」に入ります。お楽しみに。
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