こんにちは。ぶ~ちゃんです。
甲州街道歩き旅12日目の3回目、最終回を迎えます。
ここまで夫婦で(不平不満を含めた)感情を共有しながら、ひたむきに歩き続けてきた甲州街道歩き旅の集大成です。
この旅を通じて得た感動や出会いは、新たな旅への期待を膨らませてくれます。
地元の文化や歴史を巡りながら、自然の美しさにも触れることができました。
最後の一歩を踏み出す瞬間、いったいどのような思いが広がるのでしょうか。
甲州街道の旅 12日目-3
上諏訪宿 つづき
11:30
諏訪湖畔で軽めの昼食(頼んだのはモーニングセット)を済ませて「橋本政屋」に戻り、再び甲州街道の旅再開です。
250mほど歩いたところに「柿蔭山房」の案内がありました。短歌集団アララギ派のリーダー「島木赤彦」の住居です。
古民家に興味はありますが、妻の体力温存のため立ち寄らず先を急ぎます。
柿蔭山房
古くからこの地には柿の木が多く、赤彦が歌を発表するときに「柿の村人」と名乗っていたことが名前の由来なんだブ。江戸時代後期に建てられた茅葺屋根の主屋と、樹齢200年以上のアカマツが誇る下諏訪町指定文化財となっているんでだブ。
更に500mほど歩いたところに「石投げ場」があります。
昔の諏訪湖は湖面がもっと広く、文字通りこの場所から石を投げれば湖に届くような距離だったということです。
湖に流入する河川の土砂堆積や干拓で小さくなっていったようです。
甲州道中沿いからの諏訪湖の眺望で最も優れているのがここからなのだそうです。
確かに風光明媚な眺めです。
江戸日本橋から五十三里目「富部一里塚」
石投げ場より10分程歩いたところに五十三里目の「富部一里塚跡」があります。
甲州街道最後の一里塚です。
残すところあと1.1kmとの記載もあります。
そわそわする心を抑えて、一歩ずつゆっくりと進んで行きます。
若宮神社の社標が立っています。
坂道を登っていくことになります。ここも妻の膝のダメージを懸念して先に進みます。
その先に大きな一枚石が現れます。
甲州街道の「承知川」に架かっていた橋石です。
武田信玄の伝説も残されている一枚石です。
「諏訪大社 秋宮まで300m」の案内板があります。
そのすぐ先にカーブを進み、緩やかな登り坂を上がっていきます。
専女の欅
お土産屋さんの駐車場の片隅に、大きな欅の木があります。
天然記念物「専女の欅」です。樹齢約千年だそうです。
西側にある専女社のご神木となっています。
専女社に面する側は大きな空洞となっていますが、暖かい季節には鮮やかな緑の葉が豪快に生い茂るそうです。
諏訪大社 下社 秋宮
とうとうここまで来たんですね。
「諏訪大社 下社 秋宮」です。
信濃国一之宮であり、日本最古の神社の一つです。
七年に一度、奇祭「御柱祭」が執り行われることでも有名ですね。
甲州街道旅の最後を飾るにもふさわしい場所ですね。
ゴールした後にしっかりと参拝しますからねー。
御柱祭
諏訪大社では、七年に一度、寅と申の年に宝殿を造営し、社殿の四隅にある御柱と呼ばれるモミの大木を建て替える祭りを行うんだブ!この祭りは正式には「式年造営御柱大祭」といって、長野県諏訪地方の氏子22万人がこぞって参加する天下の大祭なんだブ!
諏訪大社に面する西側の景色です。
すっきりとしたきれいな町並みを望むことができます。無電柱なんですね。
諏訪大社沿い、「千尋池」に挟まれた道を進みます。
少し進むとと右手に番屋跡の碑があります。
下諏訪宿の入り口として番屋が建っていた場所です。
宝物殿のある鳥居の前のマンホールです。
「金沢宿」にも御柱祭のマンホールがありましたが、こちらには色鮮やかですね。
その隣の風情ある建物は、創業1873年の老舗和菓子店「新鶴本店」です。
名物「塩羊羹」は創業時から製法が変わっていないそうです。
購入して食べておけば良かったです。
中山道の旅の時にでも寄ってみたいと思います。
そして新鶴本店は幕末尊皇派志士で南画家の「天龍道人」の住居跡でもありました。
天竜道人
肥前国鹿島藩で生まれたすごい画家さんだったんだブ。鷹や葡萄の絵でとっても有名で、「葡萄和尚」って呼ばれることもあったんだブ。諏訪湖が天龍川の始まりの場所だから、「天龍道人」という名前を使ってたんだブ。そしてね、人生の後半は諏訪で過ごしたんだブ。
続いて「燕来荘」です。面影を残す建物が並びます。
甲州街道 終点「下諏訪宿中山道合流之地」
12:30
ここが「下諏訪宿中山道合流之地」、甲州街道の終点です!
街道旅の序章ともいえるこの旅も、約210kmに及ぶ歩き旅がついにゴールを迎えました。
一歩一歩、歴史の息吹を感じながら進んだ道のりには、驚きや感動が詰まっていました。壮大な自然、数々の石碑や一里塚、そして地域の文化や人々との触れ合い、そのすべてがこの瞬間に繋がっていると思うと、胸が熱くなります。
妻の膝は既に限界を迎えていました。それでも痛みをこらえ、一歩一歩前へ進み、ここまで一緒に歩いてきてくれたことに心から感謝しています。本当に良く頑張ってくれました。
妻の支えがなければ、この旅はきっと成し遂げられなかったでしょう。改めて感謝の気持ちでいっぱいです。
達成感とともに、これまでの思い出が鮮明に蘇り、新たな旅への期待も膨らみます。次はどんな歴史の舞台が待ち受けているのでしょうか。この感動を胸に、また新たな一歩を踏み出したいと思います。
甲州街道終点の宿場町「下諏訪宿」
中山道、甲州街道の二つの街道が交わる宿場町「下諏訪宿」は、諏訪大社の門前町として賑わっていたそうです。宿場町としての見どころがたくさんあることも分かっていましたが「中山道歩き旅」で再訪した際の楽しみに取っておくことにしました。いつかまた必ず来ます!
御宿場印「下諏訪宿」を手に入れた!
下諏訪宿内にある「しもすわ今昔館おいでや」に立ち寄りました。
ここで甲州街道終点の「下諏訪宿の御宿場印」を手に入れることができます。
店内はとてもきれいで、トイレ、休憩スペース、足湯など無料で利用することができます。
私たちも、御宿場印購入ついでに一休みさせていただきました。
場所 :しもすわ今昔館おいでや
営業時間:9:00~17:00
休業日 :年中無休
甲州街道12日目(最終日)まとめ
12日目は「上諏訪(上桑原道標・常夜灯)」から終点「下諏訪宿」まで、約4時間半、8.5kmの道のりでした。
途中で軽食を摂ったこともありますが、見どころ豊富で撮影に時間を取られるなど、最終日はかなりゆっくりとしたペースとなりました。
※この後、「諏訪大社 下社 秋宮・春宮」を巡ります。
みどころ
- 貞松院
- 上諏訪宿 諏訪五蔵
- 諏訪湖(石投げ場からの眺望)
- 下諏訪宿 下諏訪宿中山道合流之地
- 諏訪大社下社秋宮・春宮(※甲州街道旅ではありませんが)
エリアの特徴
- 緩やかなアップダウンが続きます。
- 諏訪湖畔に商業施設が多数あります。食事処、コンビニ、休憩や食料調達に困ることはありません。
- 上諏訪、下諏訪駅があります。電車の本数は多くはありませんので、利用する場合は事前に時刻表の確認をしておいた方が良いです。
- 上諏訪には温泉宿が多くあります。諏訪湖、諏訪大社等、観光客も多いので宿は豊富にあります。
- 冬場は防寒対策をしっかりとしましょう。朝晩は氷点下にもなります。
甲州街道歩き旅を経て
江戸の日本橋を出発してから12日間、小さな一歩から始まった旅でしたが、ついにかゴールまで辿り着くことができました。歩き旅は、日常生活では味わえないような感動や達成感を与えてくれました。
心に残ったのは、美しい風景、歴史ある古道や街並み、そして旅の途中で出会った人々との温かい交流です。
そして四季の変化も肌で感じることができます。歩くことでしか味わえない歴史と自然が、この旅を一層特別なものにしてくれましたよ。
一歩一歩踏みしめるごとに、新たな発見と、思いがけない出会いがありました。時には困難に直面することもありましたが、それらすべてが、忘れがたい経験として心に刻まれています。
夫婦で旅をし、これらの体験を共有できたことは、お互いに忘れられない記憶として胸に刻まれました。
体力や健康状態が異なるので、ペースや休憩のタイミングを考える必要があったり、細かい計画を立てる際にも意見が合わないこともありましたが、お互いの意見を尊重し合って、コミュニケーションを大切さを改めて学ぶことができました。歩き旅は夫婦仲をより深めるきっかけとなったとも思います。
旅の終わりには、また新たな旅に出たいという思いが湧いてきました。
甲州街道の旅は終わりましたが、その記憶はこれからも色褪せることなく、次の旅への橋渡しとなります。
これからも歩き旅の魅力を伝え、その楽しさを伝えていきたいと思います。
次なる冒険はすでに待ち受けているので、歩みを止めることなく旅を続けていきたいと思います。
今日のウォーキング
甲州街道歩き旅12日目(甲州街道歩き旅最終日)の記録です。
最終日は一番歩数が少なかったです。
「上諏訪宿」「下諏訪宿」「諏訪大社下社秋宮・春宮」など、無理せず楽しみながら甲州街道最後のウォーキングができました。
甲州街道歩き旅210kmの総歩数は「523,729歩」(歩き旅実施日の総歩数)となりました。
1日平均43,000歩以上歩いたことになります。頑張りました。
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