こんにちは。ぶ~ちゃんです。
甲州街道歩き旅11日目です。
前回「台ケ原宿」から「金沢宿」手前の「青柳駅」までを歩きました。
今回は「青柳駅」から「金沢宿」を経て「上諏訪宿」に向かいます。
11日目の旅の中心は「茅野市」になります。
「茅野市」は日本の中心に位置し、八ヶ岳連峰の麓に広がる高原都市です。
降水量も少なく湿度の低い快適に過ごすことができます。
他県からの移住者が多く、コワーキングスペースが多いなど、ゆったりとした時間が過ごせる地域としても人気が高いようです。
諏訪大社の1つである「諏訪大社上社前宮」があり、「諏訪信仰発祥の地」として知られています。とうとう「諏訪大社」の名前がでてきました。甲州街道歩き旅ゴールまであと一歩です。「諏訪大社4社めぐりも」楽しみです。
甲州街道の旅 11日目-1
金沢宿への道中
9:15
朝4時に起床。夜の闇が薄れる中自宅を出発。
鈍行列車に揺られながら、旅の出発地点へ向かいます。列車の窓越しに見える景色は、太陽が昇るにつれて明るさを増し、やがて冬の名残を感じさせる雪景色へと変わっていきます。
約3時間半の移動を経て、到着したのは「青柳駅」。
前回の旅のゴール地点に戻り、新たな一歩を踏み出す瞬間は、毎回特別な気持ちがこみ上げます。
電車を降りると凛と張り詰めた空気に包まれます。青柳駅の温度は「0℃」です。
この時期はしっかりと寒さ対策をしていきましょう。
前回旅を終えた旧甲州街道に戻り、いよいよ11日目の旅がスタートです。
道の両側には雪がうっすらと積もっています。この積雪が例年通りなのか、最近降ったものなのかは分かりませんが、確かなのは冷え込みの厳しさです。路面が凍結している箇所もありそうなので、一歩一歩慎重に進む必要があります。
日影になっている歩道には固くなった雪が残り、滑りやすくなっています。こうした場所では、雪の少ないルートを選びながら慎重に歩を進めるのがポイントです。
ちょうど陽が昇り、気温が少しずつ上がり始める時間帯。屋根に積もった雪があちらこちらでドサッと滑り落ちる音が響きます。そのたびにハッとさせられる瞬間が。頭上にも気を配りながら、歩みを進める必要があります。
日本橋から43番目の宿場町「金沢宿」
9:45
雪道に足元の注意を奪われながらも、どこか新鮮な冬の風景を楽しんでいるうちに、気がつけば「金沢宿」に到着です。
金沢宿
本陣が一軒、旅籠が十七軒もあったんだブ。最初は宮川と矢ノ川の扇状地、権現原平に位置していて、その時は「青柳宿」って呼ばれていたんだブ。でも、何度も水害に遭い、とうとう大火で宿場が全焼してしまったブ。その時をきっかけに、慶安四年(1641年)に現在の場所に移転し、名前も「金沢宿」に変わったんだブ。
「明治天皇金澤行在所跡」と刻まれた小さな石柱があり、 その奥に「金沢宿本陣跡」の説明板があります。
その少し先に「旅籠松坂屋」跡があります。一度全焼して再建された建物のようですが、昭和初期まで営業を続けていたようです。
「旅籠松坂屋」から2分程歩いたところには「中馬宿 馬宿」があります。
松坂屋同様、二階を出梁造りにしていて風情を感じる建物ですね。
道なりに進むと、右手に「甲州街道案内」が現れます。
案内に従って、右手の小路に入っていきます。
先ほどの案内板の左側に記載のあった「小松三郎左衛門」の霊を弔う如意輪観音が、ここ刑場跡に安置されました。
小松三郎左衛門
金沢宿の本陣問屋を勤めていたんだけど、諏訪藩の命令で所有地と大沢山の入会権を奪われたんだブ。三郎佐衛門は諏訪藩に直訴したけど、捕まって処刑されちゃったんだブ。この地では「みょうり様」と呼ばれて親しまれてるんだよ。でも、後に明治17年の裁判で金沢宿の権利が認められたんだブ。ちょっと悲しい歴史なんだブね。
宮川を渡り、川沿いの道を進んで行った先に「金山権現」「権現の森」があります。
権現の森
昔はこの森の北西に家が並んでいたんだけど、宮川の洪水や慶安三年の大火があって、南の現在地に移転したんだブ。この宿場は高遠方面に行くのにとっても重要な場所だったんだブ。交通や物資の流通にとって欠かせないんだブ。市の指定史跡になってるんだブ。
国道20号沿いを進んでいくと、視界に飛び込んできたのは「寒天の里」の看板。茅野市では古くから寒天産業が盛んなんですね。
江戸日本橋から四十九里目「大池一里塚」
10:30
道なりに進み、視線を宮川の向こうに移すと、石碑と案内板らしいものが目に入りました。「大池一里塚跡」のようです。
ここは日本橋から四十九里目、約192km地点にあたります。歴史を感じさせる佇まいですが、どうしても最近見た迫力満点の「御射山神戸一里塚」と比較してしまいます。あの存在感と感動が脳裏によぎります。
200kmまであと少し!ここからも気持ちを新たに進んでいきます。
風情のある民家が点在する街並みを眺めながら、20号沿いの道を進んでいきます。
車屋さんの石垣に「旧甲州街道」の案内板がありました。
ギリギリに止められた車の方に目が行ってしまいますね。
案内板の指示に従い坂道を進んでいくと、途中に鳥居と石碑、そして立派な御柱(?)が目に入りました。不思議なことに案内板や説明が見当たらず、石碑に刻まれた文字も風化のためかほとんど判読できません。
跨線橋を渡り、中央線沿いを進んで行きます。
坂道を歩いている途中で見つけたマンホール。デザインが「御柱祭」をテーマにしていたので、思わず一枚写真に収めました。
旅をしていると、マンホールのデザインに地域の特色が反映されていることに気付きます。その土地ならではの歴史や文化、イベントが描かれていて、見るたびに新しい発見がありますね。
宮川沿いの道を歩いていくと、清らかな水の流れが印象的でした。川底まで透き通って見えるほど澄んでいて、冬の冷たい空気と相まって、心が洗われるような景色です。
中央線のガードをくぐって道なりに進むと「宮川坂室」の交差点で20号と合流します。
交差点脇に石碑群があります。
宮川沿いを進むと、遠くには八ヶ岳連峰の美しい姿が見えてきました。
町並みの風情ある雰囲気が調和していて、この地域ならではの魅力を感じます。
さらに、この辺りには「寒天屋」の蔵が集まる場所があるとのこと。茅野市が寒天産業で栄えた歴史を物語るエリアですね。
中央自動車道の陸橋が見えました。交わるのは「竜王」以来ですね。
中央道をくぐってすぐ右手の山の上を見ると巨石が立っています。「三山社」です。
山形県出羽三山の山岳信仰の石碑のようです。色々な山岳信仰があるんですね。
更に進むと、コンテナの側面に大きく「一里塚 日本橋より五十里」との案内。
さすがにこれは一里塚ではないです。
江戸日本橋から五十里目「茅野一里塚」
11:30
コンテナの裏の道に行くとひっそりとありました。「茅野一里塚」です。196kmです。
その隣に並んで石塔群もありましたよ。
「金沢宿」を越えて「茅野駅」までもう一歩のところまで来ました。
雪道を慎重に歩いてきたせいでしょうか。夫婦共々足に違和感を感じてきています。
旅の続きはまた次回報告します。お楽しみに。
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