甲州街道歩き旅!10日目②「蔦木宿」

甲州街道歩き旅

こんにちは。ぶ~ちゃんです。

甲州街道歩き旅10日目の2回目です。
前回、「金沢宿」に向けて「台ケ原宿」をスタート。
2時間かけて約8km進み、山梨県と長野県の県境まで辿り着きました。
今回は長野県に入って最初の宿場町「蔦木宿」に入ります。
蔦木宿の町並みには昔の雰囲気が色濃く残っていました。

甲州街道の旅 10日目-2

教来石宿 つづき

9:30
「新国界橋」を渡り「長野県」に入りました。
「日本橋から173km」のキロポストがありました。
下諏訪まで残すところ約50km。いよいよ甲州街道の旅も終盤です。

「らーめんとんかつ国界」さんの駐車場の片隅に碑がありました。
「右 しなののくに 左 かいのくに」と刻まれています。「らーめんとんかつ国界」さんが立てたものなんでしょうかね。

少し進んだところに、「大型車侵入禁止」の標識のある登り坂が見えてきます。
この登り坂の道が旧甲州街道になりますが、この先20号沿いにある「道の駅 信州蔦木宿」に先に立ち寄ります。

道の駅 信州蔦木宿

先ほどの分岐から500mほど進んだところに「道の駅 信州蔦木宿」があります。

道の駅「信州蔦木宿」は、甲州街道の宿場町として栄えた「蔦木宿」をイメージして地域性・独自性を出した施設であり、大浴場、ジャグジー、サウナ、露天風呂のある天然温泉「つたの湯」や、食事処、直売所やお土産品を扱う「てのひら館」など、ドライブの休憩場として有り余る魅力のある道の駅となっていました。

この先しばらく、コンビニ等も無いので、食料を購入したり、トイレを済ませておくと安心です。

情報ステーションの休憩室で「ヴィラテックハウス花白州」さんで作って頂いたお弁当を頂きました。
ボリューム満点のお弁当の他、手作りのマドレーヌまで一緒になっていました。
歩いた後のお弁当は、心にも身体にも染み入りました。

御宿場印「蔦木宿」を手に入れた!

ここの道の駅に立ち寄った一番の目的は「蔦木宿の御宿場印」です。「てのひら館」にて販売しています。

場所  :道の駅 信州蔦木宿
営業時間:9時~19時(平日は17時まで)
休業日 :火曜日

御宿場印も入手、お腹も一杯になり道の駅を後にします。
先ほどの分岐点まで戻り、坂道を登っていきます。

日連聖人高座石

坂の中腹に「日蓮上人高座石」があります。

ブーちゃん
ブーちゃん

日蓮上人高座石
村にはひどい病気が広まって、村人たちが大変な思いをしていた時に、日蓮上人は三日三晩もこの岩の上に立って説法と一緒に加持祈祷を行って、病気が治まるように祈ったということなんだブ。

三つ辻柳由来

下蔦木小唄の一節に詠まれた三つ辻柳。そのモデルとなったしだれ柳の古木が甲州街道の此処堂坂の登り口にありましたが、強風で倒れてしまったそうです。
昔の街道を偲んで植樹し直したということです。

日本橋から42番目の宿場町「蔦木宿」

11:00
しばらく道なりに進んで行くと「甲州街道 蔦木宿」の案内板が現れます。屋根付き木製で雰囲気が出ています。

ブーちゃん
ブーちゃん

蔦木宿

本陣は1軒、脇本陣なし、問屋場は2軒、旅籠は15軒だったブよ。
南北の端には枡形が配され、幕府の奉行所公認の民間運輸・中馬によって栄えた宿場町なんだブよ!

案内板の少し先、常夜灯の奥に石祠が祀られています。立派に祀られた祠です。

枡形道路」の石標です。
道路改良のため、枡形の位置が変わったことを示しています。

三光寺

枡形道路を抜け、20号に合流してすぐ、右手に三光寺の石標が現れます。

ブーちゃん
ブーちゃん

三光寺
約600年前(1395年頃)に武田重信が父親の追善供養のために創建した寺なんだブ。
与謝野晶子が蔦木宿を訪れた際に泊まった寺として知られているブ。

また少し進んだところに「十五社大明神」の石鳥居があります。先に見える石段の上に、社殿があります。諏訪大社と同様に、七年に1度、御柱祭が行われるそうです。

蔦木宿本陣跡

上蔦木の交差点に「蔦木宿本陣跡」があります。

ブーちゃん
ブーちゃん

蔦木本陣
代々大坂屋源右衛門家が世襲していたんだブ。建物は富士見高原の別荘として移築された後、解体されたんだブ。表門は元治元年(1864年)の大火で焼失して再建されたものなんだブけど、本陣建築の遺構としては唯一残ってるから、すごく貴重なんだブ。

「蔦木本陣跡」石標とならんで「明治大帝御駐輦跡」の石碑があります。

本陣門の裏には「与謝野晶子歌碑」も本陣門の裏には「与謝野晶子歌碑」もあり、
「本陣の 子のわが友と いにしえの 蔦木の宿を 歩む夕暮れ」の歌が刻まれています。
大坂屋本陣は与謝野晶子と親交が深かったようです。

「屋号と街並の案内看板」がありました。


ここに来るまでの民家に「屋号」の表札が掛かっていたのはこのためだったんですね。
蔦木宿活性化の一環として行っているようです。
国道と重なる部分も多く、昔の町並みを残していくのも一筋縄ではないと思いますが、歴史・文化を残し伝えるのは大切なことだと思います。
こうして我々が歩き旅を楽しめるのも、こういった地元の皆さんの頑張りのおかげなんですね。
本当に頭が下がる思いです。

御膳水 与謝野晶子歌碑

本陣から100mほど進んだところに「御膳水」があります。
ここにも「与謝野晶子歌碑」が添えられていました。

遅ればせながら、蔦木宿の町並みです。
昔を感じさせてくれる、風情ある街並みです。

北側の枡形道址です。
蔦木宿の出口ということになります。

蔦木宿を抜けてすぐ左手に石祠と「芭蕉句碑」があります。
「川上と この川下や 月の友」の詩が刻まれています。

「蔦木宿」を抜けたところで10日目2回目の旅を終わります。道の駅あり、風情ある街並みあり、歩きごたえがありました。続きはまた次回に報告します。お楽しみに。

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