こんにちは。ぶ~ちゃんです。
甲州街道歩き旅10日目です。
9日目は「韮崎宿」から「台ケ原宿」まで歩きました。
10日目は「台ケ原宿」から「教来石宿」「蔦木宿」を経て「金沢宿」までを歩きます。
歩き旅もいよいよ10日目を迎え、山梨県ともお別れの時がやってきました。
今回は甲州街道最後の宿場町「教来石宿」。かつてここには関所が設けられ、街道を行き交う人々を見張る重要な役割を担っていました。今では名所として残るものは少ないものの、広々とした土地に広がる絶景や、道中に感じるのどかな風景が、往時の趣を感じさせてくれます。
それでは教来石宿の歩き旅、楽しんでみて下さい。
甲州街道の旅 10日目-1
甲州街道歩き旅も、いよいよ10日目を迎えました。
この旅を通して、歩くからこそ感じられる特別な感覚を、少しでも皆さんにお伝えできればと思います。
凛と澄み渡る朝の空気。山々に囲まれた自然の中で迎えた朝焼け。
自然の偉大さと自分の小ささを改めて思い知らされます。
10日目は早朝に出発する予定だったため、宿泊予約時に朝食は無しにしていました。しかし、オーナーが「お弁当を準備できますよ」とお声がけくださり、そのご厚意に甘えることにしました。私たちの都合に合わせてご配慮いただき、心から感謝です。
7:30
宿泊した「ヴィラテックハウス花白州」さんが快適すぎて、甲州街道歩き旅も後ろ髪を引かれる思いで出発です。短い滞在でしたが、とても心地よい時間を過ごすことができました。
寒空の中、オーナー夫婦共に我々の姿が見えなくなるまで見送って下さいました。本当にお世話になりました。
しっかりと休息をとり、体力もすっかり回復しました。
今日も天気に恵まれ、甲斐駒ヶ岳がくっきりとその姿を見せてくれました。
甲州街道に戻る道すがら、朝日に照らされた八ヶ岳が目の前に広がり、その美しさにしばし足を止めてしまいました。
こんな景色を目の当たりにすると、東京に戻るのが惜しくなりますね。
教来市宿への道中
10日目の甲州街道歩き旅に戻ります。この日の朝の気温は1℃。冬場の街道歩きは、しっかりとした防寒対策が欠かせません。
スタートからしばらくは緩やかな坂道が続きます。周囲の景色を楽しみながら、ペースを合わせて一歩一歩進んでいきます。
前沢上交差点を右折して国道20号と合流、神宮川を渡ります。
5分程歩くと分岐があります。右側の道が甲州街道です。
分岐点の三角地帯にある「ケルンコーヒー」では、「教来石宿御宿場印」を取り扱っているとのことですが、開店が10時なので少しタイミングが合わなかったようですね。
残念ながら、他の取り扱い場所が「小渕沢駅観光案内所」となっているものの、ルート沿いではないため諦めるしかなさそうですね。残念。
道を進むと、左手に「石尊大権現常夜灯」が見えてきます。これは石尊神社の南参道の入り口を示すものです。その反対側には「般若堂」があります。
さらに少し進むと、左手に鳥原交差点の手前で「石尊神社の鳥居」が見えてきます。
ここは参道の中央口にあたり、この鳥居をくぐると石尊神社まで約2kmの道のりとなります。この神社は、武田氏や徳川氏から厚い崇敬を受けた歴史ある神社です。
こちらは北口参道の常夜灯です。
こんな小さな小川にも、きっと清らかな天然水が流れているのでしょう。
背後にふと気配を感じて振り返ると、なんと富士山がその雄大な姿を見せていました。思わず足を止めて見入ってしまいます。
日本橋から41番目の宿場町「教来石宿」
8:30
道なりに進んでいくと「下教来石」の交差点に到達します。ここで国道20号と合流し、「教来石宿」に入ることになります。
少しルートを外れますが、宿場町の名前の由来となった「教来石」が近くにあるとのことで、せっかくなので立ち寄ってみました。
教来石宿
山梨県の最後の宿場町なんだブ。本陣が1軒、脇本陣が2軒、旅籠が7軒と、宿場町としての規模はコンパクトだったんだブ。でも、この宿場の特徴は「山口関所」なんだブ!宿駅の役割だけじゃなく、甲斐と信濃の国境を守る重要な役目も担っていたんだブ。国境を越える人々にとっても大切な拠点だったんだブね!
国道20号に合流して間もなく、左手(西)の道へ進みます。緩やかな登り坂を進む途中、小さな石祠がひっそりと佇んでいました。
坂の先に目を向けると、開けた景色の中に「甲斐駒ヶ岳」がその姿を見せています。
教来石
さらに少し進むと、畑の中に「教来石」が静かに佇んでいます。その上には石仏が並び、歴史を感じさせる佇まいです。
案内板によると、この石にはヤマトタケルノミコトが東征の際に腰を下ろし、詠んだ歌に由来があるとのこと。遠い昔、この場所からはどのような風景が広がっていたのでしょうかね。
来た道を引き返し、甲州街道に戻ります。
少し歩くと「明治天皇御小休所址」があります。かつては教来石宿本陣のあった場所です。
100mほど進むと左手に駐在所、右手に郵便局が見えてきます。
郵便局の手前の道を右に進みます。
広がる田畑の向こうに七里岩の続きが見えてきます。
その先「明治天皇御田植御通覧之跡碑」が現れます。
明治天皇の巡幸の際に、ここから田植えの風景をご覧になったそうです。
石碑の向かい側には見事な田園が広がります。
しばらく道なりに進むと、街道脇に「御膳水跡」の案内板が見えてきます。ここは明治天皇が巡幸の際に立ち寄られ、「細入沢」の湧水を飲んで称賛された場所とされています。南アルプスの豊かな自然が育む湧水、その美味しさは言うまでもありませんね。
その後、20号に合流すると左手に地蔵菩薩、庚申塔、馬頭観音等が並んでいます。
ここからまたすぐに、20号を外れて右手の道を進みます。静かな街並みです。
山口関所跡 西番所跡
9:15
上り下りを繰り返しながら歩を進めると、右手に「山口関所跡碑」、さらにその先には「西番所跡碑」が見えてきます。どちらも、歴史を感じさせる貴重な史跡です。特に目を引くのは、ステンレス製のピラーに刻印された案内。石碑とは一味違います。珍しいですね。
山口関所跡
武田信玄が設けた甲州24ヶ所の番所の一つなんだ。信州口を見張る国境の関所跡なんだブ。「山口」って名前の由来はね江戸前期の俳人で、松尾芭蕉と親交のあった山口素堂から来ているんだブ。
田園風景が広がる中、真っすぐに延びた街道を進んでいきます。周囲は静かでのどかな雰囲気です。
その先、「新国界橋」手前で20号と合流します。
上野原からここまで、長い道のりを歩いてきた「山梨県」ともいよいよここでお別れです。この橋を渡ると、いよいよ甲州街道最後の県、「長野県」に入ります。
新たな県での歩き旅に期待が膨らみます。
長野県に入ってからの旅の様子は、また次回の報告でお届けします。どうぞお楽しみに!
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