こんにちは。ぶ~ちゃんです。
甲州街道の歩き旅1日目の2回目です。
前回「江戸日本橋」をスタートし3時間かけて9kmと、出だしからのんびり行脚となりました。
今回「内藤新宿」を抜けて次の宿場町「下高井戸宿」に入ります。
京王線沿いにあるこの地域は、都心に近く、新宿や渋谷へのアクセスも良いです。駅前には商店街などがあり、治安も良い生活に便利な住宅地です。
緩歩ですが無理せずできるところまで進めることにします。
旅の先では素晴らしい景色や、歴史との出会いが待っているんです。
一歩一歩踏みしめて歩いていきます。
甲州街道の旅 1日目-2
下高井戸宿への道中
新宿を過ぎて初台です。
見ごたえのあるスポットが多すぎて、妻の動画撮影の手がとまりません。
妻のスピードに合わせてゆっくりと進みます。夫婦と言えども、他の人の歩調に合わせるというのは結構疲れるものです。
東京オペラシティ & 新国立劇場
12:00
「東京オペラシティ」初めて訪れました。
「新国立劇場」に併設された複合文化施設です。
観劇以外にも食事、ショッピングを楽しめます。一度は新国立劇場で観劇してみたいものです。
幡ヶ谷方面に向かってすぐ、首都高の初台入口がありました。
ここから今日の到着地点の府中まで車で何分かな?などと考えてしまいます。車はやっぱり早いですね。
首都高としばらく並行して歩きます。首都高で空が遮られているせいでしょうか、景観の変化はあまり感じられません。食事処が現れてくるとそろそろ駅周辺かなと感じる程度です。
幡ヶ谷駅前の交差点です。
そして笹塚駅前の交差点です。
「八王子まで35km」と言われると遠いという感覚でしかありませんが、昔の人は江戸日本橋から八王子宿までを1日で歩いていたようです。
江戸日本橋から三里目「笹塚の一里塚」
12:20
笹塚交番の向かい側の茂みに「笹塚の一里塚跡」を発見しました。
江戸日本橋より一里目、二里目の一里塚が「存在位置共に不明」となっていましたが、この旅初の一里塚。ここまで歩いて甲州街道の史跡にやっと出会うことができました。(涙)
初めて目にした一里塚は茂みに埋もれた説明板のみでした。
「一里塚」は歴史的にもとても価値のあるものだと思いますし、現代の「道」にも繋がる当時の旅人にとっても大切な道標だったはずなのに、史跡に対する扱いに少し寂しい気持ちにもなりました。案内板でも残っているだけで良いと思うしかないですね。
一里塚発見で甲州街道旅のモチベーションも上がります。
その前にこの辺で昼食を取っておくことにしました。腹が減っては戦はできません。
笹塚駅近くのココイチでポークカレーを頂きました。
満腹では歩きにくくなる可能性もあると思い、腹八分目で旅の続きに出発します。
その先も相変わらずの景色です。首都高と並走します。
築地本願寺 和田堀廟所
「京王明大前」駅を通りすぎます。
明治大学をはじめ私立の中学・高校が点在しているため、若者が多い活気のある街のようです。
13:30
道を挟んだところに「築地本願寺 和田堀廟所」があります。
ここには5000円札の肖像画にもなっている「樋口一葉」のお墓があります。
首都高永福入口。電光掲示板には「国立府中まで25分」の表示。
歩きでは寄り道せずに4時間程度かかりますが、車では見ることのできない景色が歩き旅にはあるんです。
道沿いに少し歩いていくと名前が「一里塚」のバス停。
この近辺に一里塚があるのかと思いきやどこにもありません。
江戸日本橋から2番目の宿場町「下高井戸宿」
続いて道沿いに「桜上水商店街」の入口です。
昔ながらの商店街という雰囲気ですね。懐かしい気持ちになります。
「下高井戸宿」はこのあたりから「上北沢駅」辺りまでだったようです。
下高井戸宿
内藤新宿ができる前は、江戸から一番最初の宿場町だったんだブ。
上高井戸宿と下高井戸宿が、半月ごとに宿駅のお仕事をがんばってたんだブ。でもね、内藤新宿ができてからは、宿場を使う人がグッとへってしまったんだブ。参勤交代で使う宿場も減っちゃって、本陣は1軒、脇本陣無し、旅籠屋は3軒だけになって静かな宿場になっちゃったんだブ。
江戸日本橋から四里目「高井戸一里塚跡」
14:00
約500m進んだところに「高井戸一里塚跡」の説明板を発見しました。そして、その裏に隠れるように立っている「日本橋から16km」のキロポストです。
説明板に書いてある通り、一里塚は規格が決まっていて、直径9メートル、高さ3メートルとかなり大きなものだったようです。塚の頂には榎が植えられることが多かったようですね。
参勤交代で甲州街道を利用した大名は「信州高嶋藩」「高遠藩」「飯田藩」の三藩のみだったようです。
ここで、新宿からしばらく並走を続けてきた首都高とも一旦お別れです。
日本橋から3番目の宿場町「上高井戸宿」
環八と交わる交差点です。この辺りに「上高井戸宿」の本陣があったようです。
上高井戸宿
下高井戸宿と、半月ごとに宿駅のお仕事をがんばってたんだブ。本陣は1軒、脇本陣無し、それに、旅籠屋は2軒。こっちも静かな宿場になったんだブ。
交差点を通過して間もなく分岐があります。
左側の少し細い道が「旧甲州街道」になります。
車通りの激しい大通りを外れて、少し落ち着いた道に入ります。今度は歩道が狭いのが難点。
「芦花公園駅」近くです。
「山本農機・山本善水商店」が旧道の面影を感じさせてくれます。
「千歳烏山駅」近くです。コンビニ、居酒屋や飲食店が立ち並びます。住みやすそうな街ですね。
駅からも少し離れて人通りも少なくなってきたところに、突如現れた住宅敷地内の石碑と説明板です。
この「新一里塚」は明治時代に内藤新宿から一里ごとに新しく建てられた里程標です。
少し進むと「仙川」があります。
奥の橋は20号です。この少し先でまた合流します。この辺りから23区を抜けて調布市に入ります。
江戸日本橋から五里目「仙川一里塚跡」
15:00
20号と合流して500mほど進むと、仙川入口交差点です。
コンビニの角で石碑が主張していました。「仙川一里塚跡」!5里目(20km)です。
府中まであと10kmの案内板です。
仙川の一里塚から府中までの距離が確認できました。
なんとか陽が落ちる前には辿り着きたいです。
ふくらはぎが徐々に張ってきました。
妻も都心を歩いていた時の元気はすっかり無くなって、休憩場所を探し始めています。
甲州街道の1日目2回目はここまでとします。
次回は「布田五ケ宿」に入ります。
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