こんにちは。ぶ~ちゃんです。
甲州街道歩き旅8日目の2回目です。
前回は「甲斐市 下今井の町並み」までで終わりました。
今回は、JR中央線塩崎駅付近から「韮崎宿」までの道のりになります。
この辺りから南アルプス、八ヶ岳、茅ヶ岳など、数々の名峰に囲まれた雄大な景色を望める地域に入っていきます。韮崎市は武田信玄一族の里としても知られています。
甲州街道の旅 8日目-2
甲府柳町宿 つづき
JR中央線のガードをくぐり、そのまま中央線に沿って歩きます。この道は比較的広めですが、交通量はそれほど多くなく、静かで落ち着いた雰囲気が漂っています。
泣石
さらに500mほど進むと、柵で囲まれた大きな「泣石」が現れます。この巨石には興味深い歴史と伝承が刻まれています。
案内板によると、かつては石の中央部から水が湧き出ていたそうですが、鉄道の開通によって水脈が断たれてしまい、現在ではその姿を見ることはできません。また、この石には武田氏滅亡にまつわる悲しい伝承が残されています。
※「甲州道中案内帳」に記載あり。
泣石の伝承
武田勝頼たちが新府韮崎城に火を放って岩殿城に向かったんだブ。その途中で、勝頼夫人がこの辺で燃える新府韮崎城を見て、思わず涙をこぼしたって言い伝えがあるんだブ。それからね、このでっかい石の中からなんとなく水が滴り続けたんだブ。
塩崎駅を過ぎたあたりから、街道沿いには立派な旧庄屋の建物が目立ち始めます。情緒漂う風景が広がっていました。
船形神社の石鳥居
右手にある小学校を抜けると「船形神社の石鳥居」があります。山梨県指定有形文化財に登録されています。
船形神社の石鳥居
釜無側でぐちゃぐちゃになった古墳があって、そのそばには諏訪神社があったんだブ。崩れた古墳の中の石室がまるで舟みたいに見えて「船形神社」って呼ばれていたんだブ。石鳥居はなんと、応永4年(1397年)に建てられたものなんだブ。
でもさ、洪水が何度も起きちゃって、江戸時代になると神社は今の場所に移ったんだブ。そのときに石鳥居も運ばれちゃったって言われているんだブ。
船形神社から少し進んだ「六反川」の手前に「芭蕉の句碑」があります。
石碑には「昼みれば首すじ赤き蛍かな」 と刻まれています。
この場所は「蛍塚」と呼ばれ、六反川は「金川」と呼ばれていた蛍の名所だったようです。
しばらく歩くと「塩川橋」が現れます。
この橋を渡ると、とうとう「韮崎市」です。
韮崎市
その市名は韮崎宿に由来しているんだブ。この名前の由来はなんと、長く伸びる七里岩が、まるでニラ(韮)の葉のように見えることから来ているんだブ。戦国時代に勇名を馳せた甲斐武田家の発祥地でもあるんだブ。市内を歩けば四季折々の美しい富士山が見えてくるんだブ。
橋を渡り終えたらすぐ右折します。ここからは、中央線と並走する道が旧甲州街道となります。
姫宮神社
まっすぐ約1kmほど歩き、左手に折れると「姫宮神社」が現れます。
少し坂道を登ると、立派な鳥居と本殿が見えてきます。
高台にある境内からは南アルプスの山々を一望することができます。
ここの神社に立ち寄ったもう一つの目的がこれです。
ここでのもう一つの目的は、富士山信仰の富士講によって造られた「鏡石」と呼ばれる石造物です。
この「鏡石」は、覗き込むとなんと富士山を望むことができるんです。ここから富士山を眺め、拝むというスタイルはどこかおしゃれですね。
ただし、足元には急な石段が続いているため、特に注意が必要です。転倒しないよう慎重に進んでください。
小さいですが、富士山がみえましたよ!
日本橋から39番目の宿場町「韮崎宿」
いよいよ韮崎市街地に入りました。
街道沿いには、趣のある建物が点在し、歴史の面影を感じさせてくれます。
韮崎宿
本陣が1軒、旅籠が17軒あったんだブ!
甲州街道と駿信往還、佐久往還が分岐する超重要な場所で、交通の要所として栄えていたんだブ。富士川水運の終点にもなっていて、だからこそ海産物の上陸や年貢米の積み出しなどで、物資の集散地として大賑わいだったんだブよ。
韮崎宿本陣跡
通りを少し歩くと「韮崎宿本陣の跡」の石碑がありました。
清水屋旅館
「韮崎宿本陣跡」の道を挟んで向かい側に「清水屋旅館」があります。
江戸時代1845年に韮崎宿の旅籠の一つとして開業。約180年の歴史があり、韮崎宿でも一番の古さを持つ老舗旅館です。
一橋陣屋跡
「韮崎本陣跡」から通りを右手に一本入ると、壁に囲まれた不思議な空間が現れます。
ここが「一橋陣屋跡」です。
入口に石碑と説明板が設置されいます。かつては一橋家の拠点として使われた場所だったようですが、現在は整備されて公園となり、地域の憩いの場として親しまれているようです。
馬繋ぎ石
お店の前に、真ん中に穴の開いた石がありました。「馬つなぎ石」です。
お店の前に見つけたのは、真ん中に穴の開いた「馬つなぎ石」。この石は、かつて馬の手綱を結び、店先で待機させるために使われていたものです。
宿場町ならではですね。
馬が主要な移動手段や物資輸送に使われていた時代の名残であり、現代ではほとんど見ることがない歴史を感じさせる貴重な史跡です。
更に進み「本町交差点」を曲がれば今日の到達地点「韮崎駅」になりますが、まだ時間もあるので少しさきまで進んで散策することにしました。
七里岩
交差点を過ぎて少し歩くと、右手に目を引く絶壁とその上にそびえる観音様が現れます。
この絶壁は「七里岩」と呼ばれる地形で、観音様は「平和観音」として知られています。その雄大な姿は、この地域のシンボル的存在ともいえます。
七里岩はこの先しばらく旅路に寄り添い、旅を見守ってもらうことになります。
七里岩
約20万年前に八ヶ岳が崩れちゃって、そのときにできた岩屑流が韮崎まで流れて、釜無川と塩川によって南北の側面が削られて今の形になったんだブ。高さがなんと140メートルもあって、南北に7里(約28キロ)も続くんだブ。戦国時代後期にはその断崖を使って武田勝頼公が「新府城」っていう城を築いて転移を試みた歴史もあったんだブ。
2015年には山梨県では初めて国登録記念物に登録された景勝地になったんだブ。
小林一三生家跡
道の左手には「小林一三翁生家跡」の碑が建っています。この碑は「にらさき文化村」の敷地内に位置します。
小林一三翁は、日本の経済史に名を刻む偉大な経営者であり、阪急電鉄や宝塚歌劇団の創設者としても知られています。その功績は「偉大」という言葉だけでは語り尽くせません。また、多くの著名人を輩出した華麗なる家系でもあり、ひ孫にはなんとテニス界の熱血漢、「松岡修三」さんがいらっしゃるのです!
小林一三
箕面有馬電気軌道って阪急電鉄の前身なんだブ。それ以外にも、交通や住宅地経営の不動産業、阪急百貨店の小売業、そして東宝や宝塚歌劇団、阪急ブレーブスの興行業など、いろんな事業を興して阪急東宝グループを作り上げたんだブ。
多様なビジネスを広げて、今の豊かなライフスタイルを築いた人物なんだブ。
武田太郎信義之像
次の交差点を西に進んで200mほど歩くと「韮崎市役所」が見えてきます。
エントランスの横には、「武田太郎信義之像」が静かに佇んでいます。
武田太郎信義
平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した武将なんだブ。彼は甲斐源氏の四代目当主で、甲斐武田氏の初代当主なんだブ。
源平合戦で、鎌倉幕府の初代鎌倉殿「源頼朝」と一緒に「富士川の戦い」や「一ノ谷の戦い」、「壇ノ浦の戦い」で武功を挙げたんだブ。「武田信玄」の先祖でもあるんだブ。
本日の甲州街道歩き旅はここまでで終わりにします。今回も歴史を感じる建物や史跡が数多くありました。
雲岸寺(穴観音)
韮崎駅までの道の途中、七里岩末端の岸壁下にある「雲岸寺」と「平和観音」に立ち寄りました。
雲岸寺が建てられたのは室町時代、更に「窟観音」はの始まりは平安時代までさかのぼると伝えられる古刹那です。
七里岩の自然の一部である岸壁を利用して作られた朱塗りの「窟観音堂」は、鮮やかな赤色が周囲の岩肌と対照的で、目を引きます。
雲岸寺
地元では「穴観音」と呼ばれて信仰を集めているんだブ。七里岩の岸壁の中段には、なんと洞窟が掘られていて、その中には聖観世音菩薩(窟観音)、弘法大師御尊体、千体地蔵尊のほか、たくさんの石仏がおさめられているんだブ。
平和観音
「穴観音」の岸壁の上に悠然と佇む「平和観音」は、その名の通り静かで荘厳な雰囲気を漂わせています。この観音像を間近で拝むためには、雲岸寺の隣にある急な坂道を登る必要があります。
長距離歩いた後の疲労の蓄積された足で、急勾配の坂道を登るのはかなり堪えました。
疲労困憊の妻。良く登り切ってくれました。
Googleマップで見る(平面だと)とあっという間の距離なんですけどね…
観音様の足元に立ってみると、より巨大に見えます。
平和観音
高崎白衣観音、大船観音の観音像と合わせ関東三観音の一つで、高さ16.6mもあるんだブ。富士山に向かって立つ、でっかな観音像なんだブ。
市民たちの平和と登山者の安全無事を祈願して建てられたんだブ。歴史って、祈りとか願いを形にするんだなあ。おおらかな心でみんなの平和を祈りたいブー!
七里岩の南端に立ち、「平和観音」が見守る景色を自分の目で体験してみると、その壮大さに心を奪われます。目の前には、韮崎市街が一望できる素晴らしいパノラマが広がり、その先に富士山を臨むことがができる絶景を堪能することができます。観音様がこの景色をいつも見守っているのだと思うと、どこか心が穏やかになるような気がしました。
観音様の前にある公園のベンチに座り、景色を眺めながら一休み。登りの疲れを少し癒してから「韮崎駅」に向かいました。5分程歩けば韮崎駅到着です。
駅のホームから見えた平和観音像です。
韮崎市民を優しく見守ってくれているようですね。
甲州街道8日目の旅はここまでです。
次回は「韮崎宿」から「台ケ原宿」まで進みます。お楽しみに。
御宿場印「韮崎宿」を手に入れた!
JR韮崎駅前の「韮崎市地域情報発信センター」で御宿場印「韮崎宿」を入手しました。
場所 :韮崎市地域情報発信センター(韮崎市民交流センター ニコリ内)
営業時間:午前9時~午後8時
休業日 :毎月第3月曜日(祝祭日の場合は翌日) 12月29日~1月3日
甲州街道8日目 まとめ
8日目は「甲府柳町宿」から「韮崎宿」まで、約5時間、14kmの道のりでした。
みどころ
- 下今井の町並み
- 姫宮神社からの富士山
- 平和観音公園からの眺望(七里岩の先端)
- 晴れていれば四季折々の美しい富士山が望める。
- 西に南アルプス、北に八ヶ岳を望む。
エリアの特徴
- 竜王駅付近に急坂有り。その他は比較的平坦な道が続く。
- 竜王駅付近の歩道が狭い。
- 食事処、コンビニ共に点在している。
休憩や、食料調達には困らない。
今日のウォーキング
8日目の記録です。竜王駅付近以外は平坦で歩きやすい道がでした。朝一の舞鶴城や山梨県立美術館や姫宮神社、甲府に戻ってからの武田信玄公祭り等が積み重なり、甲州街道歩き旅以外のところで歩数・距離を稼いでしまったようです。
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