こんにちは。ぶ~ちゃんです。
甲州街道歩き旅4日目の3回目です。
前回は「野田尻宿」の入口まで進みました。
今回は「犬目宿」「下鳥沢宿」へと進みます。
山沿いの道を進み、更にアップダウンが激しくなってきますが、自然が多く、宿場町風情も色濃く残る、歩いていてとても楽しめるエリアでした。
甲州街道の旅 4日目-3
野田尻宿
13:45
「野田尻宿」に入ります。遠くに奥多摩の山々を望む、開けた景色が広がります。
「野田尻宿」の街道筋です。「鶴川宿」同様、情緒あふれる落ち着いた街並みです。
車通りもなく、凛とした静けさが漂っていました。
「明治天皇小休所碑」です。
石碑がしっかり宿場町「野田尻宿」を主張してくれています。
歴史ある街並みは残して行って欲しいものです。
野田尻宿
江戸から明治時代にかけてにぎわった中くらいの宿場町だブ。
本陣と脇本陣が1軒ずつで、旅籠が9軒もあったんだブ。宿場の入り口と出口の道が枡形になっているんだブ。甲斐国を北条の攻撃から守るために作られた出城があった場所だったんだブ。
昔の宿場町の雰囲気が、今でもしっかり残っているんだブ。
野田尻宿の西の突端、高台に「西光寺」があります。
山梨県郡内地域でも最古の寺と言われているそうです。
西光寺沿いの道を進みます。(案内板があります。中央道のトンネル方向ではありません。)
道を進むと中央道にぶつかります。中央道の橋を渡ります。
橋が石畳風になっていますね。
橋を渡り終えると、林に突入します。
橋に続き、石畳が続いて欲しかったものです。
江戸日本橋から二十里目「荻野一里塚」
15:00
短い林を抜けると車道に出ます。右進んでしばらく道なりに進むと、段上にポツリと「荻野一里塚跡」があります。
そして石塀を抜けたところに、「荻野一里塚跡の案内板」があります。
一里塚跡もここ並べた方が良いと思いましたが…
日本橋から20里目(約48.5km)です。
現代の旅人においても立派な道標です。助かります。
更に道なりに1kmほど進んで中央道の橋を渡ります。案内板があります。
(橋を渡らず左の道を進むと談合坂SA(上り)があります。)
橋を渡り終わってすぐ、右手に矢坪坂の古戦場跡案内板です。甲州街道案内もあります。
(が、私たちはルートを間違い、この後しばらく別の道を進んでしまっていたようです。案内板の地図をよくみましょう。)
ゆるやかな上り坂の山道が続きます。
大野展望台
途中にある「大野展望台」からの眺めです。
周囲の山々が一望できます。大自然満喫です。
かわいいお地蔵様を見つけました。
(この辺で本来通ってくるべき旧甲州街道に合流)
バスは一日一本です。歩くにしてもこのアップダウン。この辺りの生活にはやはり車が必要になりそうです。歩き旅のエスケープも時間によっては難しくなりそうです。
日本橋より20番目の宿場町「犬目宿」
15:45
犬目宿の案内板がありました。
登り坂を上がっていって、平坦な道に出ると「犬目宿」です。
野田尻宿同様、石碑で立派に「宿場町」を主張してくれています。
こちらも静かで落ちつた街並みです。
犬目宿
本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠15軒、人馬継立問屋場などがあったんだブ。家屋は56戸で、人口はなんと255人もいたんだブ。
同地域内では最も標高が高い位置にあるんだブ。
犬目宿兵助の生家
「犬目宿兵助」の生家です。
このような人物がいたことを初めて知りました。
犬目宿兵助
甲州一揆の指導層の一人ブ。
兵助と武七は大飢饉と米買い占めに苦しむ村人を救うため、百姓一揆を起こしたブ。兵助は妻と離縁し、娘のたきの未来を思って逃亡の旅に出たブ。
しかし、一揆は彼らの意図とは異なり暴徒化。兵助は絶望して姿を消したブ。放浪した後に犬目村に戻り余生を送ったということだブ。
宝勝寺
犬目宿とともに栄えた寺「宝勝寺」の入口です。
葛飾北斎の「富嶽三十六景」、歌川広重の「不二三十六景」などの富士はこの辺りから描かれたと言われています。
甲州桃太郎伝説「犬」のお寺でもあります。
犬目宿を過ぎ、また山道が続きます。道なりに進みます。
江戸日本橋から二十一里目「恋塚一里塚」
16:00
くねくねと道を進むと二十一里目「恋塚の一里塚」です。
塚の形が良く残っています。北側の塚は道路の拡幅工事で削られてしまったそうです。
恋塚一里塚近くにある「山住神社」です。
少し進むと大月市の案内板が現れます。
とうとう道案内の表示板に良く出てくる「大月市」に入りました。
ここからはしばらく下りが続きます。膝が辛いです。
右に下る坂道が旧甲州街道です。
振り向いて撮った写真です。途中、草で塞がれた道をかき分けて進んできました。
どんどん下っていきます。鳥沢まで続きそうです。
16:30
鳥沢駅まで約2.2km。
鳥沢駅までは約2.2km。登りは緩やかに長く続く道でしたが、下りは一気に駆け降りるような感覚です。
民家が増え、交通量も多くなってきました。歩道が狭くなっているので、注意が必要です。安全に進むために、周囲の状況をしっかりと確認しながら歩きましょう。
まっすぐ進むと、しばらく離れていた中央道が見えてきます。
中央道を潜り、坂道を下り切ったところで新道と合流します。これは、昼食後に「上野原歩道橋」とお別れして以来の再合流です。ここからようやく道が平坦になり、ほっと一息つけます。しかし、ここまでの長い下り坂の影響で膝が痛みます。
日本橋より21番目の宿場町「下鳥沢宿」
17:00
下鳥沢宿の案内板です。
下鳥沢宿の街道筋です。
屋根やひさしが大きくせり出した古い構えの家が特徴です。
下鳥沢宿
本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠11軒、問屋1軒があったんだブ。上鳥沢宿と隣接する合宿で人馬継立や問屋役なんかは半月交替で行われていたんだブ。
奥の高台に建っているのは「福地八幡神社」です。
創建は800年代後半と古い歴史のある神社です。
江戸日本橋から二十二里目「鳥沢一里塚」
敷地の間にある木の角柱が「鳥沢一里塚跡」です。
日本橋から二十二里(約86.5km)です。
未だ甲州街道全行程の半分に満たず…長い旅です。
ようやく本日の到着地、鳥沢駅の案内板が出てきました。信号を曲がれば鳥沢駅です。
17:15
鳥沢駅に到着しました!予定より遅れましたが、無事に本日の到着地点に辿り着きました。
甲州街道4日目 まとめ
4日目は「関野宿」から「鳥沢宿」への道のりでした。
体調を整え、万全の状態で出発しましたが、繰り返されるアップダウンにより、後半はやはり膝に痛みが現れました。
このエリアの方々は宿場町の意識が高く、旅の途中でたくさんの方々が声をかけてくれました。地元の歴史について話してくれるおじさんもおり、貴重な話を聞くことができました。
また、他の地域と比べて甲州街道の案内板が多く設置されており、大いに助かりました。地元の人々との交流は歩き旅の醍醐味であり、疲れも癒されました。
みどころ
- 各街道筋にはしっかりと風情が残っている。
- 自然が豊かで開放的な雰囲気を楽しむことができる。
- 山沿いのの道からは開けた景色を眺めることができる。
(富士三十六景のひとつ「甲州街道犬目峠」は犬目宿) - 塚の形をしっかりとどめている「恋塚の一里塚」。
(山梨県指定文化財)
エリアの特徴
- 周囲は山。日の入りが早いので、時間に余裕をもった計画をする。
- 上野原を過ぎるとルート周辺には食事処、休憩場所、コンビニが無くなる。
飲食物の準備が必要。談合坂SAを計画に盛り込むのも〇。 - 登山客に人気の地域。アップダウンが激しく、かなりの体力を使います。
上野原を過ぎると、ルート周辺にはほとんど食事処や休憩場所、コンビニがないので、食料や飲み物を準備しておく必要があります。談合坂SAはルート付近にありますので、計画に取り入れるのも良いと思います。
中央線から離れた道が続くので、途中で離脱がしにくいエリアです。
上野原駅~鳥沢駅まで歩き切れる計画を立てるのが良いと思います。
今日のウォーキング
4日目の記録です。アップダウンが激しい1日でした。
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