こんにちは。ぶ~ちゃんです。
甲州街道歩き旅4日目の2回目です。
前回4日目午前中で「上野原宿」でまで進みました。
今回は「鶴川宿、野田尻宿、犬目宿を越えて下鳥沢宿」を目指します。
この先、ここまでの道のりにも増してアップダウンが激しくなってきています。
食事を摂れる場所も限られるので、上野原でしっかりと準備を整えておきましょう。
甲州街道の旅 4日目-2
上野原宿 つづき
12:00
上野原で昼食をとりお腹も満たされたところで午後の旅再開です。
上野原歩道橋からです。新道から外れて斜め左に進みます。
上野原歩道橋日から、道なりにまっすぐ進むとY字路に差し掛かります。
右側に進みます。案内板もあるので迷うことはないでしょう。
道を進むとまたY字路に差し掛かります。こちらも右側。案内板もあります。
新道を跨ぐ歩道橋に出ます。歩道橋を渡り終えて、旧甲州街道は30号方面に進んで行きます。
「甲州街道史跡案内図」があります。
その先歩行者用の下り坂を下って行きます。ここにも案内板があります。
坂を下り終えると一度車道に出ますが、更に道を挟んで対面側ある下り階段を降りていきます。案内板があります。
車道に出てすぐ、鶴川に架かる「鶴川橋」があります。
川があるところは景色が開けていて気持ちが良いです。
写真の奥に見える橋が新道です。
ここまでの道について少し複雑ではありますが、要所に甲州街道を示す案内板がたてられているいるので迷わず安心です。
江戸日本橋から18番目の宿場町「鶴川宿」
12:20
鶴川を渡るとすぐに鶴川宿の案内があります。きれいに管理されています。
ここまで分かり易く管理されているとありがたいですね。
鶴川宿
本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠8軒と、ほとんどの家が宿屋を営んでいたんだブ。
甲州街道の河川では唯一、徒歩渡しだったんだブ。だから大雨なんかで川が増水すると、たくさんの旅人が鶴川宿を利用したんだブ。
鶴川宿の街道筋です。
静かな街並みと宿の風情を残す旧家が多く残っていて、なんとも言えない感情がこみあげてきます。
宿場町を抜けると山を切り開いて作られた上り坂が続きます。地味にきついです。
しばらくまっすぐ道なりに進むと、中央道に突き当たります。
中央道沿いを進みます。まだまだ上り坂は続きます。
中央道を跨ぐ「鳶ヶ崎橋」を渡ります。案内板があります。この辺りは、案内板がたくさんあって本当に助かります。
江戸日本橋から十九里目「大椚一里塚」
13:00
坂を登り切ったところに「大椚一里塚跡」があります。日本橋から19里。約75kmです。
傍らにベンチもあったので、ここで水分補給休憩。
少し進んだところに丁字路があります。ここはまっすぐ(右側の道)進みます。
大椚宿発祥の地
標柱に「大椚宿発祥の地」とあります。間の宿だったようです。
ご神木の杉です。大木です。
階段上に吾妻神社があります。地名の由来となっている大椚は神社の境内にあったようですが、枯れてしまったそうです。
そのまま進むと、中央道に沿った道になります。
いつも車からしか見ることがなかった案内板を、この角度からみるとは思ってもいませんでした。
側道はまっすぐですが、大きくアップダウンします。
芭蕉句碑 & 長峯砦の石碑
途中「芭蕉句碑」があります。
「古池や蛙飛こむ水の音」
と刻まれているようです。有名な詩ですね。判読できませんが…この池で詠まれた句であるとの言い伝えもあるようです。
並んであるのが、「長峯砦の石碑」と説明板です。
長峰砦跡は、武田信玄の時代に上野原加藤丹後守が築いたと言われていますが、不明な点が多いということです。中央道の工事の影響により元の姿をよくとどめていなかったとのこと。
日本橋より19番目の宿場町「野田尻宿」
13:30
500mほど歩くと「野田尻宿」の案内板があります。
中央道に架かる新栗原橋を渡ります。ちなみにこのまままっすぐ進むと「談合坂SA(下り)」になります。
橋を渡るとまた橋。元中央自動車道(遺構)です。
橋を渡った道の突き当りに案内板があります。林の方に進みます。
歩き旅のよりみち「談合坂SA(下り)」
野田尻宿の紹介の前に、少し「談合坂SA(下り)」に寄り道しました。
4日目の2回目はここまでとします。
続きはまた次回報告します。お楽しみに。
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