こんにちは。ぶ~ちゃんです。
日光街道歩き旅6日目1回目です。
5日目は「小山宿」に入り少し宿場内を少し散策して終わりました。
6日目となる今回は「小山宿」散策の続きから「新田宿」「小金井宿」「石橋宿」を経て「雀宮宿」まで約20kmを歩きます。
6日目の旅では、前回疲労しすぎて通り過ぎてきてしまった小山宿の史跡を、少し遡って散策します。
国指定記念物になっている「小金井一里塚」や将軍ゆかりの寺院、各宿場町の雰囲気を堪能し、道中の景色や小さな発見を楽しみながら「雀宮宿」までを歩きました。今回も妻は無理をし過ぎて、暗くなるまでウォーキングを続行。案の定翌日にまで疲れを残すことになってしまいました。
それでは、6日目の「小山宿」散策の続きです。歴史溢れる宿場町の魅力を再発見してみましょう。
日光街道の旅 6日目-1
小山宿散策
この日の天気予報では、朝方まで小雨、9時以降は曇りとの予報が出ていました。暑さが和らぎ始めたこの季節に、何とかして街道歩きを進めたいという思いから、天気予報に期待をかけて決行することにしました。
小山駅に着くと、あいにくの雨… 雨天用に傘やポンチョをしっかり準備し、スニーカーにもレインスプレーをかけて対策してきましたが、やはり気分は沈みがちに。私たち二人とも、少し憂鬱な気持ちでスタートすることになりました。
今回の旅では初めての雨。とはいえ、旅を続けていれば、こうした悪天候の日も当然出てきます。天気の変化を避けることはできませんが、自然と向き合い、その中で旅を楽しむことも歩き旅の醍醐味の一つ。そう自分に言い聞かせながら、気持ちを切り替えて一歩を踏み出しました。
前回の旅では、疲労があまりにも大きく、小山宿の史跡に立ち寄ることなく通り過ぎてしまいましたが、今回は少し遡って、散策することにしました。小山駅のロータリーを南に向かって進んでいきます。前回は気づけなかった小山宿の魅力を、一つ一つじっくりと探訪していくことにします。
常光寺
少し歩くと、「常光寺」が姿を現します。歴史を感じさせる趣深い門構えが印象的です。
このお寺は、戊辰戦争の「小山の戦い」で被弾した痕跡を残す青銅阿弥陀如来像を所蔵していることで知られています。
六角形の二十三夜堂には、徳川家の象徴である葵の御紋が施されています。これは、徳川家が浄土宗を庇護していたため、浄土宗のお寺で葵の御紋が使われることがあったといわれています。
この堂の中に、先ほど触れた被弾した痕跡を持つ青銅阿弥陀如来像が安置されているようです。
持宝寺(じほうじ)
8代将軍徳川吉宗が日光社参の際に小休止所として利用したお寺です。
境内には寛政4年(1792年)に鋳造された江戸時代の梵鐘があります。
境内は石庭のように整えられており、趣のある美しい景観が広がっています。雨でしっとりと濡れた庭もまた一興です。庭の静けさと手入れの行き届いた景色が、心落ち着かせてくれます。
須賀神社
朱塗りの燈籠が並ぶ参道を進んだ先には、歴史的な由緒を持つ須賀神社が鎮座しています。この神社は、天慶3年(940年)に平将門の乱を平定した小山氏の祖、藤原秀郷が京都の八坂神社(祇園社)を勧請して、小山城の鎮守として創建されました。
須賀神社 小山評定
慶長5年(1600年)7月、徳川家康が上杉景勝を討伐するために会津に向かう途中、小山に本陣を設けていただんブ。関ヶ原の戦いでの勝利を祈願して、この須賀神社で軍議「小山評定」を開いたとされているんだブ!この重要な軍議をきっかけに、西軍との対立が決定され、やがて関ヶ原の戦勝へとつながる歴史的な転機が生まれたんだブよ。
拝殿の脇に神木樅の木の切り株があります。樹齢800年。かなりの巨木だったのでしょう。
切り株の上には積石があります。
南門の外側には、小山の伝説で有名な「七ッ石」(夜泣き石)と藤原秀郷公碑、小山朝政公碑、小山義政公碑などがあります。
七ッ石(夜泣き石)伝説
石は元々、小山城(別名、祇園城)の庭にあって小山城が落城した後、結城城主が石を持ち去ったんだブ。でも、その夜から不思議なことに、石が毎晩悲しげに泣き始めたと言われているブよ。驚いた結城城主は石を小山城の守護神である須賀神社に戻すことにしたんだブ。すると不思議と、石は神社に戻されてから二度と泣かなくなったんだブね!
小山評定跡
須賀神社から300mほど歩くと、小山市役所が見えてきます。市役所の駐車場の一角には、「小山評定跡」の碑が立っています。
須賀神社にも「小山評定跡碑」がありましたが、市としては市役所北隣の小山御殿跡地を小山評定の場所と推定しているようです。
小山御殿広場
小山市役所の北側には、「小山御殿広場」があります。小山氏の居城「祇園城」の御殿曲輪にあたる部分を公園として整備し、小山の歴史を学ぶ場であると共に、さまざまなイベントが開催され市民の憩いの場となっているようです。
城山公園(小山城/祇園城跡)
2024年6月9日にリニューアルオープンしたそうです。
ここは戦国時代には小山氏の居城があった場所です。小山氏は、鎌倉時代から戦国時代にかけてこの地域を支配していました。園内には深い堀、高い土塁が残っています。
坂道を登りきると、開放的な空間が広がります。思川を望む景色も見晴らしが良かったですよ。
祗園橋を通ってお堀を渡り、お城の中に入っていきます。
城山公園の大イチョウ
中央の曲輪に進むと、大きなイチョウの木が現れます。
伝説を残す市指定天然記念物の大イチョウです。青々と葉を茂らせていましたよ。
城山公園の大イチョウ
祇園城が落城したとき、姫が井戸に身を投げ、その悲しみを弔うために家臣が井戸のそばにイチョウの小枝を差したと言われているんだブ。その小枝は長い時を経て大きく成長し、今でも立派にそびえているんだブよ。でも、姫の無念の思いがこの木に宿り、そのせいで実をつけることがないと伝えられているんだブ。
天翁院
城山公園を抜けて北に少し進むと、「天翁院」が見えてきます。このお寺は城山公園に隣接しており、もともと祇園城の一部だったため、境内には今も土塁や空堀の跡が残っています。
天翁院は、小山氏の歴代当主の菩提寺として大切にされており、境内には小山氏歴代当主の墓や、小山氏11代当主・小山義政の正室である小山芳姫の墓もあります。
日光街道に戻る途中で、立派な門構えのお屋敷を見かけました。
この門は、かつての壬生城から移築された城門だそうです。
私のところに城門移築の話が持ち込まれることなど、まずありえないでしょうね。
興法寺
日光街道に戻って少し進むと、「興法寺」が現れます。
このお寺は嘉祥2年(849年)に創建された古刹で、もともとは小山城内にあり、小山氏の一族が代々祈願寺として大切にしてきました。小山戦争の際には、この寺も戦場となり、現在も境内にある地蔵尊には戊辰戦役・小山の戦いの被弾痕が残されています。
山門の先には見事な庭園と本堂があります。
とても綺麗にお手入れされていますね。
興法寺の道を挟んだ向かいには、「愛宕神社」があります。
この神社は小山氏の祖、小山朝政が鬼門守護のために勧請したもので、歴史ある神社です。境内には1785年に建立された狛犬があり、小山市内で最も古い狛犬とされています。
愛宕神社の向かいには、趣のある建物が建っています。
もともとは1698年創業の老舗のお菓子屋さんでしたが、現在は別の店舗が入っているようです。建物には歴史の面影が残っており、古き良き街並みの雰囲気を感じさせてくれます。
ここまで色々と歴史が盛りだくさんの小山でした。このあたりから「新田宿」への道中となります。
今回の日光街道6日目1回目の旅はここまでとします。小山宿をはじめとする歴史豊かなスポットを堪能できました。次回は「新田宿」「小金井宿」へと進み日光街道の魅力に触れていきます。どうぞ次回もお楽しみに!
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