こんにちは。ぶ~ちゃんです。
日光街道歩き旅4日目2回目です。
前回、杉戸宿道中を歩き「杉戸宿」に入りました。
今回は「杉戸宿」内を散策します。
杉戸宿は、今もなお歴史の香り漂うスポットが多く残る場所です。
かつて十返舎一九、歌川広重、渡辺崋山といった著名な人物たちも、この宿場町の旅籠屋に宿泊したと言われています。歴史と自然が見事に調和する地域です。
「杉戸宿」を歩く楽しさを皆さんにお伝えできればと思っています。
日光街道の旅 4日目-2
杉戸宿散策
10:30
観光案内所前にあった「杉戸宿街歩き案内」です。
宿場町だったこともあって、歴史ある建物がたくさん残っています。
観光案内所先の路地を曲がったところにある古刹「東福寺」です。
歴史を感じる山門です。杉戸の町役場が置かれていたこともあったそうです。
街道に戻って歩くと「扇屋」さんがあります。昔は旅籠だったそうです。
問屋場
まっすぐ進んだ信号のある交差点の一角に三井住友信託銀行があります。
ここは「問屋場跡」になります。案内板も何もないですが、敷地内には「明治天皇御小休所址」が立派に立っています。
少し進んだ現松本金物さんが「脇本陣蔦屋吉兵衛跡」です。。案内板はありませんでした。
また少し進んだところにあった冠木門。ここが「長瀬清兵衛本陣跡」のようです。
そしてまた少しあるいた現松本屋さんが「脇本陣酒屋伝右衛門跡」です。
本陣と脇本陣が集まるこの場所が、杉戸宿の中心地と考えて良いでしょう。本陣の両脇に脇本陣が配置されていたことから、相当広い敷地であったことが想像できます。
現在の外観は普通のお店に変わり、かつての姿を偲ばせるものは冠木門くらいしか残っていません。せめて案内板が立てられていれば、歴史を繋ぐ一助になるのにと感じます。こうして少しずつ歴史が失われていってしまうのかと思うと、寂しくなりますね。
この後、「高札場」があったと思われる箇所にも、その跡を知らせるものはなにもありませんでした。
高札場跡にあった古民家も解体されているそうです。
杉戸宿のパンフレットを見て楽しみにしていたのですが、少し残念な気持ちになりました。
渡辺金物店
高札場跡の古民家だと思っていた建物は「渡辺金物店跡」でした。
ようやく当時の面影を感じさせてくれる建物に出会いました。
この古民家は築100年以上の歴史を持ち、現在は杉戸町の町おこしの一環として「八百宿」としてリノベーションされています。シェアオフィス兼レンタルスペースとしても活用され、地域の人々が集まる拠点となっているそうです。
どんどんこのような取り組みを行って、宿場町の歴史を残して行って欲しいと思います。
角穀跡(小島定右衛門邸)
「角穀跡」です。建物は、宿場町の風情を今に伝える枡形の通り沿いに位置しています。
かつて米穀問屋として宿場町の一部で重要な役割を果たしていました。
陽も高くなってきたので、杉戸宿の街道にある軽食、カフェで少し休憩を挟もうと思っていたのですが、お店はほとんど閉業しており見当たりませんでした。
少し歩けば、コンビニ、スーパーなどあるので活用しましょう。街道沿いにはありませんので。
宝性院
法事や法要のほか、戸籍の管理や寺子屋教育、さらには旅籠屋の代用など、杉戸宿とともに長い歴史を有し、多くの重要な役割を果たしてきたという「宝性院」です。
宝性院
本堂には大日如来が祀られているブ。不動堂には安産不動尊、成田山不動尊、菅谷不動尊の三尊が置かれていて、馬頭観音は日光街道で一番大きいの道しるべなんだブ。さらに、日光街道すぎと七福神の「毘沙門天」も祀られているんだよブ。
杉戸宿の北端に現れるのが「渡辺勘左衛門邸」です。
11:15
杉戸宿を抜けて、再び旧4号と合流します。やはり交通量は多くなります。
食事処、コンビニなどは点在しています。
少し早めですが、小腹が空いてきたので、この辺りで昼食をとることにしました。
「坂東太郎」でお蕎麦とお寿司のセットを選びました。さっぱりしていてとても美味しかったです。
歩き旅ではスタミナも大切ですので、自分の体調に合わせて食事を選ぶことをおすすめします。
11:45
お腹を満たして、いざ再出発。この辺りは、かつて松並木が広がっていたそうですが、その面影はまったく残っていません。
350mほど歩くと、朱塗りが鮮やかな「厳島神社」が見えてきます。遠目からでも目を引きます。
江戸日本橋から十一里目「茨島一里塚」
しばらく歩くと左手に「山田うどん」があらわれます。ただの山田うどんと思って通り過ぎてはいけません。駐車場の片隅に「茨島一里塚」の案内板があります。
茨島一里塚から約1km歩くと、上高野小入口交差点に到着します。この交差点で道が分かれるのですが、旧4号線とはここで再び別れ、左手の道へ進んで行きます。
しばらく道なりに進み、東武日光線を横断します。
一面田んぼののどかな景色が続きます。
幸手市南地区市民センターの傍らに「上高野村道路元標」があります。
この道路元標は「旧日光街道」と「旧日光御成道」の合流点に建てられていたものを移転してきたものです。
元の位置に建てられない理由があったのでしょうかね。
その先に見える圏央道をくぐって進んで行きます。
500m程歩いた道の突き当りが「旧日光街道」と「旧日光御成道」の合流点になります。
「幸手宿」も地図に出てきました。「幸手宿」までもう少しです。
日光御成道
江戸時代に作られた脇往還の一つで、将軍が日光東照宮にお参りする時に使った特別な街道なんだブ!中山道の本郷追分から始まり、岩淵宿、川口宿、鳩ヶ谷宿、大門宿、岩槻宿を通って、最後はここで日光街道と合流するんだブ!
合流地点を右に曲がると、すぐ右側に「聖徳太子堂」が見えてきます。
ここは、1878年に「上高野学校」が仮校舎として開校した場所です。
更に150m程歩いた左側に「神宮寺」があります。
源頼朝が1185年~1190年に建てられたと言われる古刹です。
神宮寺
源頼朝が奥州に向かう途中、逃げた鷹を追いかけてこの地に立ち寄ったんだブ。薬師如来に祈ったら、鷹が無事に戻ってきたんだってブ。それで喜んだ頼朝は、帰ってからお寺を建てて、山号を鷹尾山にしたんだブ。
再び東武日光線を渡り、道なりに進みます。
松倉川にかかる志手橋を渡ると「幸手宿」に入ります。
「幸手宿」に入ったところで、今回の日光街道4日目2回目はここまでとします。
次回は「幸手宿」の散策から「栗橋宿」までも道中です。どうぞお楽しみに!
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