日光街道歩き旅!3日目②「越谷宿」 

日光街道歩き旅

こんにちは。ぶ~ちゃんです。

日光街道歩き旅3日目1回目です。

前回、埼玉県に入り「越谷宿」北端まで進みました。
今回は「大沢宿」を過ぎて「粕壁宿」に続く道中です。

「大沢宿」は正確には「越谷宿」の合宿として栄えた町です。
越谷宿は在郷商圏の中心地として発展しましたが、大沢宿は異なる特性を持っており、そのほとんどが旅籠屋や茶店を主な生業とする交通の要所で、旅人たちで賑わった場所でした。
特に、越谷宿の旅籠屋数は天保年間に本陣・脇本陣を含めて五十七軒を数え、その大部分が大沢町に集中していたと言われています。

合宿「大沢宿」散策から「粕壁宿」への道のり。二つの宿場町をつなぐ道中の楽しみ方をご紹介します。

日光街道の旅 3日目-2

越谷宿 つづき

10:15
元荒川手間の「越谷本町交差点」です。
大沢橋と並行して走るのは「東武伊勢崎線」です。

大沢宿場跡・明治天皇大澤御小休所

橋を渡り終えると「大沢宿場跡公園」があります。
公園内には「明治天皇大澤御小休所」もあります。令和4年の大沢宿場跡公園整備 に伴って移設されてきたそうです。

ブーちゃん
ブーちゃん

大沢宿

越ヶ谷町と共に宿場機能を果たす助郷村として発展したブ。この時、両町はほぼ均等な町場を形成し、越谷宿の規模は千住宿に次ぐ大きさとなったブ。江戸時代の重要な交通と商業の中心地だったんだブ。

街道筋です。越谷宿同様に歩道が狭いですが、交通量はそこまで多くないです。

入ってすぐ「福井本陣跡」があったようですが見つからず…(後で分かったのですが、更地になっていたところが福井本陣跡だったようです。)
この後に「玉屋脇本陣跡」と言われる場所があったのですが、碑も案内板もなかったため通り過ぎてしまいました。残念。

こちらが「虎屋脇本陣跡」です。

こちらが「問屋場跡」です。
場所が分かっているのに、目印(碑や案内板)が無いのは非常にもったいないですね。

照光院

元々は寺子屋であり、江戸時代には一時的に仮の本陣を務めたこともありました。

しばらく同じような街並みが続きます。
商家が多い越谷宿に対して、大沢宿は旅籠が多かったようですが、宿場時代の遺構はほとんど残っていませんでした。

真っすぐ進むと東武伊勢崎線に突き当ります。
線路に沿って少し進み、ガードをくぐって反対側に出ます。

土手の中腹に三基の石塔がありました。
雑草で遮られてしまっていましたが、この庚申塔は道標を兼ねています。
この土手を登った先にある公園内には、宮内庁が管理する「埼玉鴨場」があります。

ブーちゃん
ブーちゃん

埼玉鴨場

1908年に元荒川左岸の旧河道を利用して造られたブ。皇室の賓客をもてなす場として使われるブ。一般公開はないけど、埼玉県や宮内庁が定期的に見学会を開いているブ。約12万平方メートルの広さで、中央には1万平方メートルの池があるブ。毎年3千羽を超える渡り鳥が生息するんだブ。

500m程歩いたところに「大林寺」があります。
門前にある大乗妙典供養塔は1740年の建立とのこと。

またしばらく道なりに真っすぐ歩いてきます。
車の通りは少し少なくなりますが、歩道は依然として狭いので気を付けて歩きましょう。

再び東武伊勢崎線と交差します。
先ほどはガード下をくぐってきましたがここは地上です。

歩道はほとんどないですね。町並みもほとんど変化の無い住宅街です。

その先「国道4号 草加バイパス」が現れます。

またしばらく住宅地が続きます。
同じような景色を見続けるのがしんどいことがあります。そんなときは妻とのたあいもない話しをしているといつの間にか進んでいます。

下間久里香取神社

11:15
バイパスから500m程歩くと「下間久里香取神社」があります。
案内板に記載がありましたが下間久里香取神社の獅子舞は、埼玉県の無形民俗文化財で、1594年に京都から伝わり、埼玉県東部及び千葉県西部の獅子舞の源流となっているそうです。
毎年7月の第3日曜日に行われ、神社での奉納後、地域の家々を一日かけて回ります。笛や太鼓に合わせて、太夫獅子、中獅子、女獅子の3頭1組で舞われ、伝統的な祭りの雰囲気を楽しめるようです。

小さな神社でしたが、歴史と伝統のある神社だったんです。

引き続き、住宅街を歩いて行きます。
燃費の悪い妻が、お腹が空いたと騒ぎはじめました。
この先住宅街を抜ければ、何かしら食事ができそうなところはありそうです。

11:30
1km程歩くと、旧4号と合流します。
間もなく「ステーキのどん」が現れたのですかさず入りました。
お昼までまだ少し時間がありますしたが、気温も高くなってきたので、休憩と合わせて食事をとることにしました。

お店に入るといつもゆっくりしてしまいがちなので、食事を摂ってすぐさま歩き旅再開!
としたつもりでしたが、1時間くらいはあっという間に過ぎてしまうものなんです。
たくさん歩こうと思っている日は、レストランは避けましょう。

せんげん台交差点です。左に曲がって300m行けば「東武スカイツリーラインせんげん台駅前」です。
日本橋から30kmのキロポストがありました。
3日目で30km。かなりゆっくりペースですね。

新方川を渡れば「春日部市」になります。

国道沿いにはだいたい歩道が整備されていますが、どこに行っても同じような景色です。

大枝香取神社・歓喜院

春日部市に入って1km程歩いたところに「大枝香取神社」があります。

この地域に「香取神社」が多いのは下総国一宮の香取神宮を勧請した香取神社が多く存在していたからだそうです。(この辺りは葛飾郡と呼ばれる、東京府、埼玉県、千葉県、茨城県に存在した広大な地域で、中世まで下総国に属していた。)

背後に高々とそびえ立つ松が力強いですね。
「歓喜院」の寺鎮守として祀られて、江戸期には大枝村の鎮守となっていたそうです。

その奥にあるのが「歓喜院」です。「大枝香取神社」は、かつての境内社にありましたが、神仏分離により分割して独立したそうです。

この辺から車の通りが減ってきたような気がします。
信号も少ないので、立ち寄り地点を考えて渡る信号を選んで進まないとなりません。
日光を遮るものも少ないので、夏場はしっかりと暑さ対策をしていきましょう。

建御雷神社

12:45
歓喜院から歩くこと約1km、「建御雷神社」があります。
強そうな名前の神社です。
落雷があったことがきっかけとなり、雷電社が誕生。その後明治初年に備後村下組の鎮守として祀られるようになり「建御雷神社」と改めたという歴史があります。

江戸日本橋から八里目「備後一里塚」

13:00
建御雷神社から1.2km。民家の塀脇に「備後の一里塚」が現れます。
妻が見つけなければ通り過ぎてしまうところでした。
塚もなければ案内板もないですが、これを見るとなんだか元気が出てきます。

「越谷宿」を抜けて「備後の一里塚」までたどりつきました。「粕壁宿」までもう少しです。
次回は次なる宿場町 「粕壁宿」に入ります。お楽しみに。

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