こんにちは。ぶ~ちゃんです。
甲州街道歩き旅11日目の2回目です。
前回、「青柳駅」を出発し「金沢宿」を経て「茅野一里塚」まで辿り着きました。
今回は「上諏訪宿」に向かいます。
この地域では「御柱」を見かけることが多くなりました。寄り道して「諏訪大社上社前宮・本宮」参拝も済ませました。いよいよ甲州街道旅のゴールは目前です。
甲州街道の旅 11日目-2
上諏訪宿への道中
11:30
大通りに出ると、鳥居とその向こう側に、土壁漆喰の3階建ての「宮川寒天蔵」が現れます。
「大池一里塚」付近にも「寒天の里」の看板がありましたが、茅野市は古くから天然角寒天づくりが行われています。
「宮川寒天蔵」は御柱の貴重な資料の保存や、音楽会や講演会の会場としても使用できるように整備・改装されているそうです。
宮川寒天蔵
もともと岡谷にあった繭蔵を移築して作られたんだブ。築100年以上の歴史を持ってるんだブ。蔵は整備・改装されて御柱の貴重な資料を保存、音楽会や講演会の会場としても使ってるんだブ。
寒天蔵の向かいにあるのは「三輪神社」です。諏訪大社とは関係は無いようですが、境内には境内には御柱が立てられています。
この地域はありとあらゆるものに御柱を立てる風習があるんでしょうか。
三輪神社とはす向かいには「鈿女神社」があります。
案内板には「おかめ面」は「天鈿女命」が起源だという記載があります。
また「鈿女の字を分けて見ると金田女(かねため)…」とも記載があります。金運が上がる神社なんですね。
こちらにも立派な御柱が立っています。
近辺にあった案内板に、その他の寒天蔵の位地が示されていたので立ち寄ってみることにしました。
近辺には、先ほどの「宮川寒天蔵」と合わせて4か所ありました。
4階建ての蔵もあり、どれも大きな造りで存在感があります。
この地域の寒天づくりを支えてきたんですね。
寒天蔵を一通り巡った後「上川」の橋の手前で甲州街道と合流します。
橋の上からは遠くの景色が見渡せます。絶景ですね。空気は冷たいですが。
12:00
橋を渡り終えて少し歩くと「茅野駅」が現れます。
敷地内には「諏訪神社」の石柱がありました。茅野駅は「諏訪大社 上社 前宮」の最寄り駅です。
敷地内には「姥塚古墳」もありました。茅野市には多くの縄文時代の遺跡が見つかっており「縄文の里」とも呼ばれています。
御宿場印「金沢宿」を手に入れた!
茅野駅に立ち寄った一番の目的は「金沢宿の御宿場印」です。
茅野駅2階にある「観光案内所」で手に入れることができました。
場所 :茅野観光案内所
営業時間:9:00~17:30
休業日 :12/31~1/3
旅のよりみち 「諏訪大社上社前宮・本宮」
ここでちょうどお昼となったので、お腹も空いてきたので駅前のレストランでランチを食べました。
甲州街道旅の途中ですが、せっかくなので『諏訪大社4社まいり』もすることにしました。
ということで、ここで一旦甲州街道のルートを外れて、駅前の「諏訪大社鳥居」から「諏訪大社上社前宮・本宮」を目指します。
甲州街道の旅 復帰
ここからは「諏訪大社上社参拝後」甲州街道の続きの内容となります。
13:00から「諏訪大社鳥居」を出発し「諏訪大社上社参拝」して戻ってきたのですが、思った以上に距離があり、戻るまでに約3時間要してしまいました。
歩きでの参拝はかなり体力を消費しました。
妻はまた、膝が痛くなってきてしまった様子。ペースを合わせてゆっくりと進んで行きます。
16:00
上社参拝を終えて、甲州街道に戻ります。
だいぶ陽が伸びてきたと感じるこの頃。更には日照時間トップクラスの茅野市です。
この時間でもまだまだ明るいですね。
「上原八幡」交差点付近の公園内に「上原八幡宮」があります。
鎌倉の鶴岡八幡宮を分霊して祀っている神社のようです。
ここからしばらく路地に入る箇所に「~小路」「~通り」と刻まれた石柱が複数建てられていました。
この一帯は上原城の城下町で、当時の路名が刻まれています。
上原城
諏訪氏の本城として、室町時代後期に諏訪信満が築城し、城下町を形成したブ。諏訪氏は70年以上にわたって諏訪地方を統治し、上原城下町は政治・経済・文化の中心地として栄えたんだブ。
「葛井神社」の標柱です。
この道を150mほど行ったところに「葛井神社」があります。
古くから諏訪大社上社の摂社の1つであり、上社の年中行事の最後を飾る「御手幣送りの神事」が毎年行われ神社です。境内の「葛井の清池」には通底伝説など不思議な伝承があるそうです。
「上御社宮司社」です。
長野県には750余りの御社宮司社があり、諏訪大社の信仰に関わっていると考えられているようです。
自動車販売店、郵便局のある路地を進みます。
対象となる路地には「渋沢小路 甲州街道」の石標が立っているので分かり易いです。
中央線のガードをくぐりると緩やかな登り坂が続きます。
膝を痛めた妻には少しきつそうでしたね。
坂道が終わる道の分岐地点には「大門追分道標」があります。
大門街道は、古くから諏訪地域と上田地域を結んでいる峠道です。
小さな道標には、「右江戸道 左山浦道」、常夜燈には、「右東京迄 左大門道」と刻まれています。
追分から道が平坦に戻ります。しばらく山の裾野にある高台の道を進んで行きます。
100m程歩くと道端に「甲州道中」の石標が現れます。この辺から「諏訪市」に入ります。
石塔、石標、常夜灯など街道の歴史を感じる風景が続きます。
右手に「頼重院」が現れます。「諏訪頼重」の菩提寺です。
諏訪頼重
甲斐の武田信虎とよく戦った戦国武将なんだブ。のちに和解してその娘をめとったんだブ。その後勢力を拡大したけど、武田家を継いだ信玄に諏訪頼継らが通じたため、1542年に信玄に降伏、甲府に移されて自害したんだブ。その娘は信玄の側室となり、勝頼を生んだブ。
「神ノ木神社」です。御柱に囲われていますね。
西日に照らされて神々しいです。
江戸日本橋から五十一里目「神戸一里塚」
16:45
「神戸一里塚」がありました。
遠くの山々が望め、見晴らしが良いです。当時はどのような景色だったんでしょうかね。
日本橋から五十一里目約200kmです。とうとう200km越えました。
ゴールまでもう少しです!!
ところどころ、風情を感じる景色が残ります。
17:00
道の中央に「秋葉山常夜燈」と「道標」が並んで建っていました。
道標には「右 大明神江 左 江戸みち」と刻まれているようです。
中途半端ではありますが、本日の宿に向かうのには一番区切りの良い場所なので、甲州街道歩き旅11日目はここで終わります。
旅の宿「チサンイン諏訪インター」
常夜灯のある交差点から西に進み、本日の宿に向かいます。
宿への道の途中に「官弊大社諏訪神社参道」と刻まれた石柱と鳥居がありました。
この道をまっすぐ進んだ突き当りに「諏訪大社 上社 本宮」があります。
鳥居を過ぎて、諏訪湖流入河川「上川」です。この景色のすぐ先に「諏訪湖」があります。
20分程歩くと、諏訪バイパス交差点付近に「チサンイン諏訪インター」に到着です。
言わずと知れたリーズナブルなホテルチェーンですが、ただ身体を休めたいだけの我々には十分過ぎるほど快適でした。
バイパス沿いということもあり、道沿いには飲食店が多数あるので、食べるものにも困りません。
この日ホテルに荷物を置いて、外で食事を摂ることにしたのですが、この日夕刻過ぎは氷点下。
歩いていたときはそこまで寒さを感じなかったのですが、今は信号待ちで止まっているだけで一気に身体が冷えていきます。歩くことで発熱していたんだと実感しました。
朝食も「満タンモーニング」(バイキング形式)で、旅のエネルギーもしっかりと補給できました。
10日目の旅が終わりました。甲州街道の旅も残りわずかです。
次回11日目は甲州街道の旅最終回です。お楽しみに。
※「諏訪4社まいり」についても後日記事にしたためる予定です。
甲州街道11日目 まとめ
11日目は「青柳」から「上諏訪」に向かう途中まで、約4時間、11.3kmの道のりでした。
甲州街道の道のりとしては短いですが、途中「諏訪大社上社前宮・本宮」にも立ち寄っているので、合わせるとそれなりの時間、距離は歩いています。
みどころ
- 金沢宿
- 寒天蔵
- 諏訪大社上社前宮・本宮(※甲州街道旅ではありませんが)
エリアの特徴
- 比較的平坦な道が続きます。※山裾は起伏あり。
- 茅野駅辺りからは商業施設が増えてきます。食事処、コンビニ、休憩や食料調達は問題ありません。
- 中央線茅野駅があります。電車の本数は少ないですが、特急が止まります。
- 宿は茅野駅周辺、諏訪IC周辺にあります。(諏訪大社に参拝に来る観光客もいるため、宿もそれなりにあります。)
- 冬場は防寒対策をしっかりとしましょう。朝晩は氷点下にもなります。
今日のウォーキング
甲州街道歩き旅11日目の記録です。「金沢宿」「諏訪大社上社前宮・本宮」を堪能しながらウォーキングできました。
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