甲州街道歩き旅!10日目③「蔦木宿」

甲州街道歩き旅

こんにちは。ぶ~ちゃんです。

甲州街道歩き旅10日目の3回目です。
前回、「蔦木宿」に別れを告げて、次なる宿場町を目指して歩き始めました。
今回の歩き旅は、「瀬沢集落」から「塚平一里塚」を越え、「原の茶屋跡」までを目指します。

宿場町は無く、上り坂が続く区間ではりましたが、風情ある町並みや周囲の山々を望む絶景が広がり、歩く楽しさを存分に味わえる道のりでした。

甲州街道の旅 10日目-3

金沢宿への道中

11:30
蔦木宿を抜けると、周囲に民家がない静かな道がしばらく続きます。

しばらく進むと、砕石や砂利の山が目に飛び込んできました。
旧甲州街道はどうやらこの砕石工場の敷地内を通っているようです。しかし、工場は稼働中で、大型の運搬ダンプがひっきりなしに行き交っていました。安全を考慮して、ここは旧道を諦め、国道20号を迂回することにしました。

採石場を迂回して振り返ると、富士山が見えました。ここはまだ「富士見町」なんです。
どこまで一緒についてきてくれるのでしょうか。

旧甲州街道と20号の合流地点には石祠道祖神、庚申塔、甲子塔道祖神がありました。

その先、しばらくの間、歩道は右側のみとなります。道の左側には、火の見櫓があり、その先に大きな木が見えます。
その木の根元に「平岡一里塚」があります。この一里塚は、江戸日本橋から46里目(約184キロ)の位置にあります。しかし、国道の下にあるため、気づかずに通り過ぎてしまいました。残念…

一里塚から約200mほど歩くと、右手に登り坂が現れます。この坂を登り始めると、しばらくの間、登りが続きます。

登りが続くと、やはり疲れを感じてきますね。
特に妻は登りが苦手で、ペースを合わせてゆっくり進んでいきます。
「808m」の標高が示されています。韮崎あたりからゆっくりと登ってきた感覚はありましたが、思っていた以上に高い場所を歩いていたんだなと実感しました。登りはまだまだ続きます。

12:15
20号と合流してすぐ立場川にかかる「瀬沢大橋」を渡ります。
渡り終わったところをすぐ左折して川沿いの道へ入ります。

その先、瀬沢集落に入ります。趣きのある町並みが続きます。
登り坂も続きます。妻は更にペースダウン。途中休憩をはさんで、水分を取りながらゆっくりと進みます。

登った先には必ず絶景が待ち受けています。
苦しいですが、美しい景色を見ることをモチベーションにして一歩一歩進んでいきます。

登り坂はまだまだ続いていますが、焦らず、自分のペースで進んでいきましょう。
時折立ち止まって周囲の景色を楽しむのも旅の醍醐味です。

登り坂の途中、振り返ると富士山がまだその雄大な姿を見せてくれました。富士山を眺められるのも、この辺りが最後かもしれませんね。ここで見納めになると思うと、足を止めて少しでも長くその姿を目に焼き付けたくなります。

とちの木風除林

樹齢200年以上の赤松が約160mにわたり連なっています。。この赤松は強風で作物が実らないという当時の困難を乗り越えるために、高島藩に願い出て寛政年間(1789~1800)に植えられたものだそうです。現在は富士見町の指定天然記念物となっています。
巨木の赤松がそびえ立つ姿は圧巻で、背が高く存在感を放っていましたよ。

その少し先、周囲には何もない場所に突如現れる「甲州道中 概要」の案内板。歴史や道の背景を伝える貴重な情報が詰まった案内板ですが、実はかなり傾いているんです。

写真を2枚撮影しました。1枚目は読める向きで、2枚目は傾きをそのまま写したものです。読むのが少し大変ですが、歴史を伝えようという思いが感じられて微笑ましくもあります。

開けた景色がです。右奥遠くの山の斜面に白い筋が見えます。
富士見パノラマリゾート」のゲレンデです。人工雪のスキー場です。

江戸日本橋から四十七里目「塚平一里塚」

13:00
右手には「塚平一里塚跡」がありました。ここは日本橋から数えて四十七里目、距離にして約185kmの地点に位置します。
現在、塚は片側のみが残っている状態ですが、それでもその堂々とした佇まいです。

この辺りから道が平坦になり、少しホッとしますね。歩き疲れた体には、こうした平らな道がありがたいものです。

そのまま真っすぐ進むと「太陽光発電所」が目に入ります。ここで左折し、一つ目の交差点を右折します。その後は発電所の外周に沿って設置された柵に沿って歩いていきます。

原の茶屋地区

13:15
広大な太陽光発電所の敷地を抜けると、「原の茶屋」地区に入ります。

ブーちゃん
ブーちゃん

原の茶屋

とちの木村と御射山神戸村の間は、人家もほとんどない場所で、旅行者には不便なところだったブ。そこで、明和9年(1772年)ごろ、与兵衛という人物が向原に茶屋を開業したブよ。その茶屋を中心に人々が住み始めて集落ができあがったんだブ。

のどかな道を進んでいくと、右手に「富士見公園」が見えてきます。
この公園は、アララギ派の歌人たちと縁が深い場所として知られています。園内には伊藤佐千夫、島木赤彦、斎藤茂吉、森山汀川といった著名な歌人たちの歌碑が設置されており、それぞれの作品が刻まれています。

ブーちゃん
ブーちゃん

アララギ派
短歌雑誌「アララギ」に出てくる歌人たちの一派なんだブ!正岡子規の考えを大事にしてて、リアルで生活に密着した歌が特徴なんだブ。

富士見公園を過ぎて交差点を渡ると、風情のある町並みが目に入ります。
「明治天皇駐驛之所碑」と「御膳水跡」が並んでいます。
標高は961m。ずいぶんと登ってきました。

アララギ歌人、斎藤茂吉の歌碑です。

さらに歩みを進めると、多くの文人が訪れたゆかりの旅館「桔梗屋」が目に留まります。
この旅館は、古くから旅人や文人たちの憩いの場として親しまれてきた場所です。
文人たちがここで語り合い、詩を詠み、風景を題材に創作に励んだのでしょう。インスピレーションの源です。
甲州街道は単なる移動の道ではなく、歴史や文化が刻まれた「生きた道」だと改めて感じさせられます。

短い区間ながらも、風情が感じられる町並みが続き、歩き旅の魅力を味わうことができました。

「原の茶屋」を抜けると現れる「甲州街道古道痕跡」です。木々の間にひっそりと道が通っている感じがありますね。

「甲州街道古道痕跡」を過ぎたところで、10日目の旅の3回目を終えます。急な坂道が続き、かなり体力を使った区間でした。次回の旅の続きもお楽しみに!

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