こんにちは。ぶ~ちゃんです。
甲州街道歩き旅10日目の2回目です。
前回、「金沢宿」に向けて「台ケ原宿」をスタート。
今回は長野県に入って最初の宿場町「蔦木宿」に入ります。
八ヶ岳や南アルプス、そして富士山を眺めながら歩き続け、ついに長野県に入りました。今回訪れたのは、長野県最初の宿場町「蔦木宿」です。
標高700~1400メートルの高原に位置する富士見町は、美味しい高原野菜の生産地として知られ、夏の避暑地や冬のウインタースポーツ地として賑わう魅力的なエリアです。「富士見町」の名の通り、旅の相棒・富士山もまだしっかりとその姿を見せてくれました。
歴史が息づく蔦木宿の町並みには、江戸時代の面影が今なお漂い、歩き旅の楽しさをさらに深めてくれましたよ。
甲州街道の旅 10日目-2
蔦木宿への道中
9:30
「新国界橋」を渡り、長野県に突入しました。
キロポストには「日本橋から173km」と記され、歩みを重ねてきた道のりを実感します。
残すところ、下諏訪まで約50km。いよいよ甲州街道の旅も終盤です。
「らーめんとんかつ国界」さんの駐車場の片隅に碑がありました。
「右 しなののくに 左 かいのくに」と刻まれています。「らーめんとんかつ国界」さんが立てたものなんでしょうかね。
少し進んだところに、「大型車侵入禁止」の標識のある登り坂が見えてきます。
この登り坂の道が旧甲州街道になりますが、この先20号沿いにある「道の駅 信州蔦木宿」に先に立ち寄ります。
道の駅 信州蔦木宿
先ほどの分岐から500mほど進んだところに「道の駅 信州蔦木宿」があります。
この道の駅は、甲州街道の宿場町「蔦木宿」をイメージした施設で、地域性と独自性が感じられます。施設内には、大浴場、ジャグジー、サウナ、露天風呂を備えた天然温泉「つたの湯」、食事処、直売所、そしてお土産品を取り扱う「てのひら館」など、ドライブ休憩にもぴったりの魅力的なスポットです。
この先しばらくはコンビニなどもないので、食料を購入したり、トイレを済ませておくと安心です。
情報ステーションの休憩室で、「ヴィラテックハウス花白州」さんに作っていただいたお弁当を頂きました。ボリューム満点のお弁当に加えて、手作りのマドレーヌまでついていて、贅沢なひとときでした。歩いた後にいただくお弁当は、身体だけでなく心にも染み入りましたよ。
御宿場印「蔦木宿」を手に入れた!
ここの道の駅に立ち寄った一番の目的は「蔦木宿の御宿場印」です。「てのひら館」にて販売しています。
場所 :道の駅 信州蔦木宿
営業時間:9時~19時(平日は17時まで)
休業日 :火曜日
御宿場印も入手、お腹も一杯になり道の駅を後にします。
先ほどの分岐点まで戻り、坂道を登っていきます。
日連聖人高座石
坂の中腹に「日蓮上人高座石」があります。
日蓮上人高座石
村にはひどい病気が広まって、村人たちが大変な思いをしていた時に、日蓮上人は三日三晩もこの岩の上に立って説法と一緒に加持祈祷を行って、病気が治まるように祈ったということなんだブ。
三つ辻柳由来
下蔦木小唄の一節に詠まれた「三つ辻柳」のモデルとなったしだれ柳の古木が、甲州街道の此処堂坂の登り口にありましたが、残念ながら強風で倒れてしまったそうです。しかし、その歴史を偲び、再び植樹が行われたとのことです。
日本橋から42番目の宿場町「蔦木宿」
11:00
しばらく道なりに進んで行くと、「甲州街道 蔦木宿」の案内板が現れます。この案内板は、屋根付きの木製で、歴史的な街道の雰囲気を感じさせます。
蔦木宿
本陣は1軒、脇本陣なし、問屋場は2軒、旅籠は15軒だったブよ。
南北の端には枡形が配され、幕府の奉行所公認の民間運輸・中馬によって栄えた宿場町なんだブよ!
案内板の少し先、常夜灯の奥に石祠が祀られています。立派に祀られた祠です。
「枡形道路」の石標です。
道路改良のため、枡形の位置が変わったことを示しています。
三光寺
枡形道路を抜け、20号に合流してすぐ、右手に三光寺の石標が現れます。
三光寺
約600年前(1395年頃)に武田重信が父親の追善供養のために創建した寺なんだブ。
与謝野晶子が蔦木宿を訪れた際に泊まった寺として知られているブ。
「十五社大明神」の石鳥居の先に見える石段を上ると、静かな社殿が現れます。諏訪大社と同様に、七年に1度、御柱祭が行われるそうです。
蔦木宿本陣跡
上蔦木の交差点に「蔦木宿本陣跡」があります。
蔦木本陣
代々大坂屋源右衛門家が世襲していたんだブ。建物は富士見高原の別荘として移築された後、解体されたんだブ。表門は元治元年(1864年)の大火で焼失して再建されたものなんだブけど、本陣建築の遺構としては唯一残ってるから、すごく貴重なんだブ。
「蔦木本陣跡」石標とならんで「明治大帝御駐輦跡」の石碑があります。
本陣門の裏には「与謝野晶子歌碑」も本陣門の裏には「与謝野晶子歌碑」もあり、
「本陣の 子のわが友と いにしえの 蔦木の宿を 歩む夕暮れ」の歌が刻まれています。
「大坂屋本陣」は与謝野晶子と親交が深かったとされ、晶子がこの地に寄せた特別な想いが感じられます。
「屋号と街並の案内看板」がありました。
蔦木宿を歩いていると、民家の表札に「屋号」が掲げられているのを目にしました。この取り組みは、蔦木宿の活性化プロジェクトの一環だそうです。こうした屋号の掲示は、宿場町の歴史や文化を再認識させるだけでなく、訪れる人々に往時の情景を想像させ、街道歩きの旅をより豊かにしてくれます。
しかし、蔦木宿は現在、国道と重なる部分が多く、昔ながらの町並みをそのまま残していくのは決して簡単ではないと思います。それでも、地元の方々が熱心に歴史と文化を守りながら、次世代に伝えようとしている姿勢には本当に頭が下がる思いです。
御膳水 与謝野晶子歌碑
本陣から100mほど進んだところに「御膳水」があります。
ここにも「与謝野晶子歌碑」が添えられていました。
ちらが蔦木宿の町並みです。
どこか懐かしさを感じさせる風情ある街並みが広がり、宿場町として栄えた往時の雰囲気を今に伝えています。
こちらが北側に位置する枡形道址です。蔦木宿の出口にあたる場所です。
蔦木宿を抜けてすぐ左手に石祠と「芭蕉句碑」があります。
「川上と この川下や 月の友」の詩が刻まれています。
「蔦木宿」を抜けたところで、今回の10日目2回目の旅が終了となります。
宿場町では風情ある街並みや歴史の名残を堪能しました。道中は見どころも多かったです。
次回はどんな景色や歴史に出会えるのか、期待が膨らみます。続きの旅の様子もぜひお楽しみに!
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